冒険へと歩み出す力


                         バスチーユの地下鉄の改札口で
                               ・



                                                   向こう岸に渡ろう (上)
                                                   マルコ4章35‐41節
        

                               (1)
  「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた」とありました。

  4章の初めを見ますと、イエスの所におびただしい群衆が集まって来たので、ガリラヤ湖に舟を浮かべて、岸辺の彼らに神の国の福音を話された事が分かります。この4章には、この時話された神の国の譬えが幾つも記されています。

  何時間であったかその話が終り、「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに言われた」のです。ガリラヤ湖はかなり広い湖で、対岸まで11-2キロあります。ですから、太陽が西の山の端(は)に沈む夕刻に出掛けるのは危険です。闇の中では何が起こるか分かりませんから、この時刻に出発するのは最高に勇気のいることです。

  ただ単に冒険のためや勇気を示すために向こう岸に行こうとされたのではありません。次の5章には、ゲラサの狂人を救う事件が出ています。イエスは、墓場や山で叫び、自分の傷つけて悩むこの男を救うために、大きな危険を冒して対岸に行こうとされたのです。今日はそれには触れませんが、今日の個所はこの男を救うための船出であったということが前提になっています。

  これ迄、おびただしい群衆がイエスの周りにいて、神の国の譬えを聞いていました。大群衆に取り巻かれているという事はどんなに幸福感があるでしょう。だが、イエスは彼らをそこに残し、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちを誘って、新しい事柄に向かって踏み出されたのです。

  私たちは生活が安定すると、新しいことを始めるのは困難です。そこが居心地のいい安住の地になれば新しい出発は更に難しいでしょう。

  しかしイエスは、自分を取り囲む大群衆を残し、湖の西側から向こう岸(外国人の地)に渡って新しい伝道に行こうと呼びかけられたのです。既にここに、地の果てまで福音が宣べ伝えられるという伝道の基本姿勢があります。

  この時、イエスは単独で行うことも可能でしょうが、一人でなく、皆と共に出掛けようと呼びかけられました。

  イエスは言わば孤高の人です。しかし誰も寄せ付けない孤高でなく、孤高でありつつ他の者と心を一つに連帯して一緒に進まれる人でした。いや、弟子たちだけでなく、対岸のゲラサの狂人を救い出すために海を渡られるのですから、その愛の深さ、悩む者との連帯の強さ大変なものです。

  この時、弟子たちの中に、私は行きませんと言う者はなかったようです。むしろ、さあ、出かけましょうと答えただろうことは、イエスの言葉を聞くや、「弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した」とあることから想像されます。

  イエスが呼びかけたのですが、その後は弟子たちを主体とした船出です。弟子の多くはガリラヤ湖の漁師です。イエスをお乗せしたまま、我れ先にと太いオールを握り、自慢の腕力を奮って漕ぎ出したのです。

  信仰生活とは、ある意味でイエスの冒険の誘いに乗ることです。イエスの呼びかけへの応答が信仰の第1歩です。信仰歴50年の人も、1年未満の人も、同じように、日々、新しい第1歩が必要です。日々のその第1歩は多くの場合、自分自身との戦いという冒険です。ヘブライ人への手紙に、「あなた方は、まだ、自分の罪と戦って血を流すまで抵抗したことがない」という言葉がありますが、そういう自分の罪との、日々新しい戦いの一歩です。

  心の最も深い所で、キリストのみ声をお聞きしても、応じないでいると、自分の人生を裏切り、人生に裏切られてしまう可能性があります。ここには高齢の方々もおられますが、もちろん年寄りの冷や水と言いますから、強がって無謀をせよという事とは違います。いずれにせよ、「イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した」のであって、イエスのいない無茶な出発ではありません。

  色んな困難や抵抗があっても、キリストの存在、そのみ声に聞き、それに委ねることによって冒険が可能となります。イエスの招き、この命の源泉であるみ言葉こそ、冒険の道へと歩み出す力を授けてくれるのです。

  「弟子たちは群衆を後に残し」て漕ぎ出したとありましたが、私たちには、群衆とか、家族とか、仕事とか、後ろ髪を引かれるものが多々ありますが、それをも後ろにして漕ぎ出すことが大事な場合が人生にあるのです。釘の先は尖っているから固い木も突き刺せるわけで、家族と一緒にとか、皆に理解してもらってからというのでなく、あなたが先ず救われることによって、家族全体が救われる。トップ・バッターがいなければなりません。

          (つづく)

                                             2015年8月16日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



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