復活なんて、おかしい
古き良きパリということでしょう。パリの街角で (右端クリックで拡大
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天使のような人々 (上)
ルカ20章27-40節
(序)
Aさんが毎週看板を10年以上書いて下さっています。これ迄2枚でよかったのに、90才の方にも情け知らずの牧師がいて、夏前から更に1枚増やして今は3枚書かねばならなくなりました。ありがとうございます。
今回、「天使のような人々」という今日の看板を書いておられて、これは大山教会の人たちだと思われたそうです。どういう意味でしょう。どうでしょう。光栄なことです。ただパスカルは、「天使を演じようとする者は、獣を演ずる」と言っていますから用心下さい。またモンテーニュという人は、「人間にまず必要なのは十分人間になることである」と戒めているのです。天使になる前に先ず真の人になるようにという勧めです。まあ、自然体で行きましょう。それが一番天使に近いかも知れません。
(1)
さて、20章には幾つも論争が出て来ました。休む暇なく次々波状攻撃をかけて来る人々に、イエスは反論して行かれます。今日の所には、「復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた」とありました。当時、サドカイ派はファリサイ派に対立して、復活を否定し、天使も霊の存在も認めない人たちだったようです。
彼らは社会の少数派ですが、教養があり、貴族である富裕層の人たちで、祭司長はサドカイ派から出ましたし、最高議会で多数を占め、政治的経済的に社会の支配層でした。
復活を信じませんから、人生はこの世限りだとして、死後のことなど知らぬという態度だったようです。そのせいか教養はあっても人間的に尊大で、謙虚でなく、不遜な人物が多かったと言われています。
教養があってもなぜ富裕層はそうなるのか、一概に言えませんが、これは今日の日本でも考えさせられる人の姿です。
彼らが何人かイエス様の所に来て、「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。次男、三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 最後にその女も死にました。すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです」と質問しました。
これはレビラート婚と言われる結婚の在り方です。類似の風習は世界各地にありました。日本でも昔は、兄が死ぬと、弟は兄嫁と結婚するという事がよくなされました。長男の家系が絶えないためでしょう。今日はお休みのBさんは、一番上の兄さんが戦死したので、ご次男が兄嫁さんと結婚したと聞きます。いずれにせよ、このレビラート婚を盾に、復活があるとすれば、この女性は兄弟7人と結婚したが、天国では7人中誰の妻になるのかと迫ったのです。
つまり、現実生活から類推して、復活があるということ自体がおかしな事だ攻め寄ったのです。
ここの所、イエス様は仕掛けられた論争に、丁寧に答えられる個所が続いて私たちもやや疲れますが、私たちが実際に論争の場面に立たされると非常に疲れます。論争には色々ありますが裁判も論争です。裁判以上に疲弊する論争もありますが、肉体的にも精神的に参ってしまう場合もあります。それがイエスの論争者たちの狙いであったかも知れません。肉体的、精神的に弱らせるという狙いです。しかしイエスは、一つ一つ論争に勝利して行かれたのです。
(つづく)
板橋大山教会 上垣 勝
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