麻の帯の譬え


                            搭上の彫像たち          (右端クリックで拡大)
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                                                  私の誇るべき冠 (上)
                                                  エレミヤ13章1-27節


                              (序)
  今日は久しぶりにエレミヤ書を取り上げましたので、初めに預言者エレミヤについて申しますと、彼はエルサレムの近郊アナトトの祭司の息子で、まだ未熟な青年時代に――彼の自意識として自分は未熟だと思っていたということですが、神はもう成熟した大人とご覧になられたのでしょう――、預言者として神から召命を受け、約40年間活動しました。

  今日の18節に、「王と太后に言え」とある王は、エホヤキム王のことですから、13章は紀元前600年か599年の預言です。即ちイスラエルは既に南北に分かれ、北王国は721年にアッシリアに滅ぼされて、その後も残った南王国は紀元前586年に新バビロニア帝国によって壊滅しますから、国が滅亡する僅か13、4年前の預言です。彼の4、50代です。

  因みにその後のエレミヤについて言えば、彼は南王国の最後を見届けると共に、エジプトに逃げた亡命政権に連行されてエジプトに降りますが、そこで殉教の死を遂げます。

  青年時代は勇ましい言葉を語る人は多くいます。だが60才前後になっても鋭さを失わず、いよいよ鋭さを増して殉教の死を遂げたのです。殉教すればいいと言うのでありませんが、彼は本物の預言者の1人と言ってよいでしょう。

  若きエレミヤは、主の言葉を聞きました。「主の言葉が私に臨んだ。『私はあなたを母の胎内に造る前から、あなたを知った。あなたを聖別し万国の預言者とした』」という言葉です。

  彼はその時から、「背信の子らよ、立ち帰れ」と何度も、南王国の人々に語りかけます。また、「預言者は偽りを預言をし、祭司は富をかき集め、民はそれを喜んでいる。…皆、利を貪っている」と5章~8章で語ります。その結果、故郷アナトトの人々からさえ命を狙われます。彼は身の置き所、隠れる場所も無くなったのです。

                              (1)
  さて最初は、「麻の帯の譬え」です。「主はわたしにこう言われる。『麻の帯を買い、それを腰に締めよ。水で洗ってはならない。』わたしは主の言葉に従って、帯を買い、腰に締めた。主の言葉が再びわたしに臨んだ。『あなたが買って腰に締めたあの帯をはずし、立ってユーフラテスに行き、そこで帯を岩の裂け目に隠しなさい。』」

  麻の帯は強靭で、締めればビシッと締まって緩みません。それを腰に締め、麻の帯がいかに確かであるか、信頼できるかを確かめよと言われるのです。ただ水で洗うなと言われます。縮んでしまうからでしょう。

  それから、強く、腰があり、緩まず、信頼できるこの帯を、ユーフラテスの岩の裂け目に隠せと言われ、その通りします。

  麻の帯。これは神の律法を示唆するでしょう。神の律法は強靭で、人と社会を神の前に正しく整え、律法を守る民は神への忠実さを示します。神から見れば、律法を授けたのはイスラエルへの愛のためです。ですから本来、神の律法を行ない、身に帯びることは名誉であり、誉れであり、誇りです。

  さて、何年も経って、再び主は彼に、「立って、ユーフラテスに行き、隠しておくように命じた帯を取り出しなさい」と語られたのです。そこでそこに行き、帯を探し出した。すると、「見よ、帯は腐り、全く役に立たなくなっていた」というのです。

  あれほど強靭で艶々し、引き締まって信頼できた帯が、すっかり腐食し、ボロボロになって全く役に立たなくなっていたのです。

  「見よ」は、驚きを現わします。あれほど強く強靭だったのに、呆れ返るほどに劣化していた。

          (つづく)

                                             2015年6月28日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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