なぜ赦しが大切か


             そのベストスポットは、そら、橋の欄干に二人を結びつける鍵で一杯  (右端クリックで拡大
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                                                    命の水を汲もう (下)
                                                    マタイ6章5-15節


                              (3)
  イエスは「主の祈り」をお教えになった後、一旦そこで終わったのに、何故か再び、「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」とおっしゃったのです。これは何故でしょう。もう一度、なぜ赦しの問題を蒸し返されたのでしょう。

  それは人の「過ちを赦す」ということが、いかに大事なことであるかということです。長くなるので、結論だけを申します。

  「過ちを赦さない。」そして腹を立てている。ここから心のしこりが生まれます。赦さないことが心の大きな負担になり、ストレスになります。心因性の色々な病気の原因はそこに発することがしばしばです。体と心と魂の平和が失われ、バランスが崩れます。肩こり、不眠だけでなく、心的問題、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、それだけでなく血液にも、リンパ腺にも、ホルモン分泌にも、身体の微妙な調節器官に影響を与えます。

  だが、「過ちを赦す。」そして、「神に赦されて生きる。」その時、体と心と魂がスッキリと晴れて、快晴が訪れるのです。

  人間は神に向けて造られています。そう造られているのです。作りつけです。だから神を見出すまでは、心に平和を得ることはないのです。お金によっても、地位、名声によっても、これを償う事は不可能です。

  神を見出し、ただ一人のまことの神を知り、人間の命の根源である方に至る時、言葉を変えて言えば、神に赦され、神に受け入れられ、自分が神に愛されていることを知る時に、生きる喜びが生まれ、まことの平和が心に訪れ、安心が生じ、心のしこり、ストレスが解き放たれて行くのです。この神の愛、赦しの最も深い核心部分が、イエス・キリストの十字架による罪の赦しなのです。

  今日の題は、「命の水を汲もう」です。これは、私たちの命の水の源である神から、活ける命の水を汲もうという意味ですが、このイエスの赦し、愛、平和に与る時に、不老不死ではありません、自分という存在の、深い所に溜まっている心のしこりやもっと深い魂のしこりが取り去られ、平和が授けられ、喜びが深い心の根底から泉のように湧き上がるからです。

  生活の慌ただしさからしばし逃れ、15分でいい、神の前に一人出る祈りを行って下さい。必ず皆さんの多くの問題がだんだん少なくなり、やがて多くの事が解決されるでしょう。解決されるだけでなく生きる喜びがやって来ます。

  最後に、祈りは、イエス様ご自身が、「私の名によって祈りなさい。これまでは祈らなかったが、これからは祈りなさい。そうすればこれらのものは皆与えられる」と約束されたから祈るのです。人間の勝手な思いつきや必要から祈るのではありません。イエスの約束があるから、私たちの祈りは聞かれるのです。御名が崇められますように!

       (完)

                                             2015年6月14日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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