褌がゆるんでいる


                           板橋第1小の運動会            右端クリックで拡大
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                                               褌(ふんどし)がゆるんでいる (上)
                                               ルカ19章45-48節


                              (1)
  今日の個所は宮清めと呼ばれて来た所です。この個所の並行記事が他の3福音書すべてにあります。この出来事は重要だからでしょう。

  マタイでは、「イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された」とかなり具体的に書いていますが、ルカはあっさりと書いています。

  またマタイは、「 境内では目の見えない人や足の不自由な人たちがそばに寄って来たので、イエスはこれらの人々をいやされた。…」とあって、イエスによる目や足に障碍を持つ人たちへの癒しも同時に書かれ、また純真な子どもたちがイエスを喜び迎えた様子も記されていて、人間らしいイエスの姿が描かれています。

  マルコもほぼマタイと同じですが、台や腰掛けを倒されただけでなく、「境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった」とあります。これは境内を横切って煮物を近所に運ぶとかでなく、牛や羊や鳩など商売で売り物の動物を境内で運ぶのをお許しにならなかったということです。

  ヨハネ福音書は、イエスが、「縄で鞭(むち)を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。『このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない』」と言われたとなっています。ヨハネが一番激しいイエスの姿を記しています。

  4福音書で少しずつ違いますが言わんとすることは同じです。エルサレム神殿の境内で牛や羊や鳩が売られていて、参詣者がそれを買って神への感謝や罪の贖いのために供えましたし、外国からの参詣人は、神殿ではユダヤの神殿貨幣以外は使えなかったので、両替屋で両替して賽銭を入れました。

  商売人たちは外貨の両替で利ザヤを稼ぐ者があり、牛や羊や鳩を高値で売って儲ける者がありましたが、彼ら商人に出店を許可するため、ユダヤ教の当局は出店の権利金を取って年間で莫大な額を儲けていたのです。

  神殿の所得の大半は、参詣者が献げる献金、そして燔祭や罪祭、酬恩祭に献げる牛や羊や鳩などは神殿で殺されて献げられますが、何万人も参詣する過ぎ越しの祭りなどの大祭の時期は、それらを全て燃やし尽すことも、祭司だけで食べることも不可能です。ですから何らかの手を打って、献げられた家畜の一部か大半を業者に売ってユダヤ教当局が儲ける仕組みになっていたのです。恐らく安く業者に卸し、業者が商売人に売り飛ばし、それをまた参詣人に売る。使い回しです。

神殿は聖なる場所です。一般人はそれを信じてお参りしています。だが神殿当局はいかに合理的に利益を得、儲けるかを考えていた訳です。

  サッカーのワールドカップとなるとサポーターだけでなく連日世界が熱狂します。テレビを見ながら日本でも連日興奮の渦巻きが起こります。しかし国際サッカー連盟の会長や幹部たちはテレビ放映権やワールドカップの招致で何十億円をという汚い金を手にし、選挙にも贈収賄が疑われています。改革を言って人心をうまく操りながら、現会長も巧妙に汚い金で地位を手に入れていたという噂があります。スイスのチューリッヒの5つ星ホテルで開かれる会議費用は、間違いでないかと思うんですが、向こうの新聞では、年間約200億円です。飛行機代や出張費も含むんでしょうが余りに酷すぎます。一般人は試合に熱狂しています。だが当局はいかに合理的に利益を得るか。儲けるかを考えている。選手だって何億、何十億の世界でしょう。素朴なスポーツの精神ではない。野球だってそうでしょう。

  今お話ししているのは、イエスが問題にされたのは、境内で売り買いしている個々の商売人でなく、ユダヤ教当局が本来の神殿の精神を失い、腐敗して営利団体になっている実態に鋭いメスを入れられたということです。商売人が商売しているだけならまだしも、ユダヤ教の総本山であるエルサレム神殿が場所代で儲け、捧げものを業者に横流しし、使い回しを許し、2重3重に利益を貪るカラクリを発明している。そこを痛打された。だから追い出された商人たちでなく、神殿当局である祭司長や律法学者、民の指導者たちが出て来て、イエスを殺そうと謀ったのです。神殿の中枢が腐敗している現実を厳しい警告で痛撃されたということです。

  イエスが、台や腰掛けを倒し、縄の鞭(むち)で家畜を追い出されたとヨハネにありました。鞭で人間を叩いたんではありません。誤解してはなりません。鞭で追うのは、当時家畜を追いたてる普通の仕方です。

ただ商人たちや家畜を境内から追い出したり、台や腰掛けをひっくり返すのは、今日では営業妨害になるでしょうね。

  イエスはそれをご存知だったと思います。しかし、たとえそれで不利な扱いを受けても、エルサレム神殿の本来の精神を思い起こさせることに意味を見出されたのでしょう。ですから、イザヤ書56章を引用して、「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」と語られたのです。「強盗の巣」とは酷い言葉ですが、まことに図星です。イエスは言葉だけでなく、目に見える行動の言語で語られたのです。

  エルサレム神殿は、元はイエスの1千年前のソロモンが造営しました。歴代誌下2章に、ソロモンが神殿造営の趣旨を語った祈りが書き留められています。「天も、天の天もこの方をお納めすることができないからです。主のために神殿を建てようとするわたしは何者でしょうか。神殿はただ主の御前に香をたくためのものでしかありません。」

  主なる神は神殿より遥かに偉大で大きい方であり、神殿の中にお住みになりません。神殿は、神の前で香を焚き、祈りを捧げる場所です。ですからイエスは、イザヤ書56章の「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」という言葉を引用されたのです。

  神殿は神との交わりの場、祈りの場です。だが、その一番大事なことが神殿当局、宗教家たちの間でおろそかになり、宗教の運営や経営が主になって、いかに民衆を支配し彼らを従わせるかということになっている。 それでは世俗の商売と変わらない。信仰の褌(ふんどし)がゆるみ、タガが外れているということです。それを指して、「あなたたちはそれを強盗の巣にした」とまで指弾されたのです。

          (つづく)

                                             2015年5月31日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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