掴みかかるかのように神に祈る


                   洗礼式に続きみんな声を合わせて喜び歌いました     右端クリックで拡大
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                                                     大胆に語る (下)
                                                     使徒言行録4章23-31節


                              (3)
  さて、彼らが祈り終えると、「一同の集まっていた場所が揺れ動き、皆、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだした」とあります。

  祈りが聞かれたのです。信仰に立って、自由と喜びをもって大胆にキリストの福音を語るようになったということです。2章に出ているペンテコステの出来事の別バージョンと言えます。神の聖霊は1つの仕方でなく色々な仕方で現われて下さり、用いて下さると言うことです。

  いずれにせよ、彼らは「神の言葉を語り出した」のです。神の言葉です。キリストの福音であり、神の愛のみ言葉です。脅迫の言葉が重くのしかかっているこの時に、神の愛のみ言葉を喜びをもって語り出したのです。

  ここに、「私の言葉に留まるならば、あなた方は本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」というイエスの言葉が実現しているのを見ます。恐れから解放されて生き始めたのです。

  かつてイエスバプテスマのヨハネから洗礼を受け、水から上がると、聖霊が鳩のように降って、「あなたは私の愛する子、私の心にかなう者」という言葉をお聞きになりました。

  弟子たちも脅迫の言葉が重くのしかかる厳しい時ですが、聖霊が一人ひとりに降って、「あなたは私の愛する子、私の心にかなう者」というような神の愛の言葉を聞いたのではないでしょうか。だからこそ、喜びを持って大胆に神の言葉を語り出したのではないでしょうか。

  それにしても先に申しましたが、ペトロとヨハネの報告に耳を傾けた仲間たちは、「どうか彼らの脅しに目を向けて下さい」と、必死になって祈ったのです。神に掴みかからんばかりに、必死にならざるを得なかったのです。

  今日、Aさんが洗礼をお受けになって、イースターの複数の方々に続きまた1人この教会に仲間が加えられました。本当に嬉しいことです。

  ただAさんは1年半程前から、具体的なことは申しませんが、突然降って湧いた厳しく過酷な試練の中に置かれて来た方です。その打撃の苦しさ、普通なら1時間半ほどかけて大山まで来れない状態でいらっしゃいました。いや、当時、外出はかなり控えておられたと思いますし、去年9月に初めて来られたものの、続かないとご本人も思っておられたのでないかと思います。

  ところが、色々なものを乗り越えてこの教会に導かれたのです。元々、教会というものに反発して来られた方なのに、突然の厳しい試練がきっかけになり、こうしてイエス様につながり洗礼にまで導かれた。秋からは9時半からの求道者会に出席して来られました。家の色々な仕事を済まして出かけるので日曜日は午前4時に起きられます。神にしがみ付くようにして試練に耐え、神様の存在を信じ、キリストを信じるという一点において支えられ今日まで来られました。

  ですから、生きるか死ぬかのシビアな問題を抱えておられない方は、Aさんはどうして肩に力が入っているのか、もっとリラックスした方がいいのにと言われる筈だと思います。しかし、いつかAさんの事情がお分かりになる日が来たら、皆さんが納得されるでしょうし、多分問題が解決された暁には、Aさん自身も必ずリラックスされるでしょう。リラックスだけでなく、喜びを持って今以上にキリストの救いを語り出される日が来るでしょう。その時には、激烈な喜びの言葉となって神の福音の言葉が溢れ出るかも知れません。それでいいのです。

  今日の個所全体を通してあるのは、ユダヤ当局の脅しの前で戦々兢々としていた弟子たちの姿です。それで神に力を振り絞って祈らざるを得なかった彼らの姿です。祈らざるを得ないのに、祈らないのは諦めているからです。神への不信仰ですが、彼らは1つになって祈ったのです。

  Aさんは先週の試問会で、「眠っている時以外は、いつも祈っています」とさえ言われました。この教会に来ることにおいてもそうですが、まるで神に掴みかかるような、ヤコブが神の使いと格闘して、「私を祝福して下さらなければ、あなたを去らせません」と言ったように、神を放そうとしない勢いでいらっしゃいます。

  私たちはそこまで真剣にならなくてもいい。もっとリラックスした方がいいと思いますが、しかし、最初の弟子たちも、創世記のヤコブも、神に掴みかからんばかりに祈ったのです。そして神の祝福にあずかった。

  神は、私たちの教会に、神の家族であるこの教会に、素晴らしい一人の姉妹をお加え下さいました。これは地上にある私たちの喜びです。だが、天においては、天使たちの間に更に大きな喜びがあるでしょう。

  イエスは、「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」と言われました。神の前に悔い改め、自分の罪を告白しながら神とキリストを信じて行く仲間が与えられたことを心から喜びたいと思います。


        (完)

                                             2015年5月24日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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