エルサレムの陥落


                       ノートルダムのアダムとエヴァ
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                                                   涙を流すイエス (中)
                                                   ルカ19章41‐44節


                             (2)
  イエスは、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」と言われたのです。

  この日とは、イエスエルサレムに入場されたこの日であり、この時代です。この都には、平和の尊さが見えない。分かっていない。平和を創り出す貴さも分かっていない。平和への道が見えず、道があるのにその道を見出そうとしない。見ても見ず、聞いても聞かないという頑迷な生き方の危険を警告されたのです。

  キリストは私たちの世界の在り方に光を投じておられるのです。心の内面だけでなく、世界をどう創って行くか。これは非常に大事です。

  そこでイエスは、都に数10年後に起こらんとしていることを預言されたのです。「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。それは、神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである。」

  「堡塁(ほうるい)」とは、城壁で囲まれた守りの堅固な町を攻撃するための攻撃用のやぐらや高く盛った山、また建築物です。町には高く頑丈な壁がありましたから、その壁より高いやぐらや山を築いて攻めたのです。

  「敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、 お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう。」表現はかなりリアルです。リアルな筈で、恐らくここには、イエスが預言し、西暦70年に実際にエルサレムがローマの将軍ウスバシアヌスによって陥落した時の、ローマ軍との、最後の一人までエルサレムを死守するために死力を尽くして戦った攻防戦のことが反映していると言われています。医者ルカはその戦争を実際に目の当たりにしたのかも知れません。

  熾烈で凄惨な戦いは死者110万人を出し、エルサレムは壊滅し国は滅びました。神殿の巨大な切り石も、城壁や数多くの建物の巨大な石も、ことごとく崩され、今では嘆きの壁と一部の城壁が残っているだけです。人は山や荒れ野に逃げて生き延び、やがて外国に逃れてディアスポラ、世界に散らされたユダヤ人になって行きました。今日世界に広がっているユダヤ人の多くは、この時の末裔です。

  「平和への道をわきまえて」いないからである。「神の訪れてくださる時をわきまえなかったからである」とイエスは語られたのです。もし平和への道をわきまえていたら、こうはならないだろうという残念さが伝わって来ます。ここにはイエスの愛があります。エルサレムに対する、人類に対する愛です。

        (つづく)

                                             2015年5月17日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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