平和を願って泣かれたイエス


                        ノートルダム寺院の門扉
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                                                   涙を流すイエス (上)
                                                   ルカ19章41‐44節


                              (1)
  今日の個所はいよいよエルサレム入場の個所です。都が眼前に迫り、人影も目に入るほど近づいた時のことです。「イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。』」

  これはこの福音書にだけあるルカ特殊資料と言われる所です。多くの戦乱の中で負傷者を手当てし、看取って来た医者ルカは、ここに平和への思いを込めてイエスの言葉を記したのでしょう。

  イエスエルサレムを目にして、都のために「泣かれた」とあります。この泣くという言葉は、元は何かを割ること、引き裂くことです。そこから悲痛な叫び声をあげて泣く、悲しみ泣くという意味が出て来ました。イエスが泣かれたとあるのは、こことヨハネ福音書のラザロの個所の2か所だけです。

  この言葉からも、イエスは平和を大切にされ、心にいかに平和への切なる思いがあったか想像できます。2千年前です。クレオパトラの夫アントニウスを破って初代皇帝となったアウグストゥスの時代に、イエスは生まれています。ローマ帝国の領土拡張は勢いを増していました。むろんイスラエルや他の諸国で、それに抵抗するレジスタンス運動がひっきりなしに起こりました。即ち紛争、戦争、裏切り、画策、殺し合いの時代です。戦争に次ぐ戦争のその時代に、イエスの心に平和を創り出すことへの思いは切実だったに違いありません。

  イエスは歪んだレトリックを弄されませんから、平和への道は積極的に戦力を用意する道だなどと言われません。積極的に後方支援し、世界のどこにも自衛隊を派遣する。これが「絶対に」戦争を起こさない唯一の道だなどと、最近聞こえて来るようなことを言われません。

  平和への道は、率直に平和を創り出す道であり、「自分は見えると言い張る」のでなく、人の言い分にも一理があり、自分の考えにも間違いがあることを素直に認め、自分を相対化して他者との和解を探る道。互いに愛し合い、信頼し合い、共に生きる道を探し合う、平和への切実な思いがあったために、エルサレムのために心が裂かれる思いで泣かれたのでしょう。

  「エルサレム」と言うのは平和の丘、平和の町という意味です。ところがこの都は平和への道をわきまえていない。その事に、感極まって涙を流すほど嘆かれたのです。

  私は戦争の残酷さを直には見ていません。戦後生まれの人が人口の大半を占めるようになり、特別な人以外は、恐らく私の世代以上に戦争の残酷さを知らないでしょう。

  しかし、戦地で戦争の残酷さを経験した人、あるいは空襲や被爆をその身で実際に経験した人たちは、この70年間、2度と戦争をしてはならないと涙を流して訴えて来られたのではないでしょうか。それがあったために平和憲法は守られて来た。憲法改定に歯止めがかけられて来たと言っていいでしょう。今以上に国際間の問題があった時にも、平和憲法を変えないという意志が強くありました。

  イエスもそういう世界の姿をつぶさに見ておられたからこそ、平和への思いは強かったに違いありません。そしてイエスの場合は何よりも、イエスの説かれた神は愛の神であり、平和の神です。民族をこえる神であり、戦争の神や軍神ではないからです。

        (つづく)

                                             2015年5月17日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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