憲法は日本の戦争責任告白


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                                                  黙れば石が叫び出す (下)
                                                  ルカ19章37-40節


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  今の社会を見て希望を失ってはなりません。世の風潮を憂えるのは、自分の頭がおかしいからでないかなどと自分を苦しめてはなりません。テレビや新聞など社会の風潮がおかしいのです。世界に目を転じると、多くの人が日本の異常さへの危惧を語っています。テレビには日本を誉める言葉、伝統を誉める言葉が一日に何度も出て来ます。そういう番組が多くなりました。日本人は世界の中で自信を失っているのでしょう。日本人の美徳は、わざわざ言わなくても自然と伝わるとして来た奥ゆかしさにあります。そこに戻ると日本はもっと美しくなります。

  先週の日曜日は憲法記念日でしたが、関係の少ない聖書でしたから触れませんでした。私たちの憲法は、特に9条は何を語っているのでしょうか。憲法を国内だけで考えてはなりません。70年前、この憲法を制定することで、私たちは再び決して戦争しませんと公言し、固く世界に約束したのです。この憲法を持ったから、英米豪、中国、ソ連、オランダ、韓国もアジア諸国も、日本の戦後の国際復帰を受け入れたのです。この憲法が制定されなければ、諸外国は日本の国際社会への復帰を認めなかったでしょう。私たちの憲法は言わば世界に向っての戦争責任告白でした。

  憲法を変え、9条を変え、戦争の出来る普通の国にするなら、70年前に世界に向ってした固い誓約を破棄することになり、日本は世界から浮き上がります。約束を破る誓約違反であり、歴史の事実を覆すことになり、誓約を破棄する国は信用されません。戦前の復帰です。

  個人の間でも約束を破る人を誰が信頼するでしょう。私は苦い経験があります。小学生の時、親友が転校して芦屋に行きました。医者の息子でした。しかし文通は続き、中学になり、ある時彼が電車に乗って遊びに来ました。手紙から、他の友だちにも会えるのを喜んでいるのが分かりました。しかし彼が会いたい友人は誰か私はよく知りませんから、私は誰も誘わず彼を迎えて楽しくその日を過ごしました。駅の改札で分かれる段になって、彼は振り返り、どうして他の人は来なかったのだろうと聞いたのです。ずっと聞きたかったのでしょう。私は言葉を失い、しまったと思いました。彼は私を信頼できない奴と考えたと思いました。約束ではないが、当然私が友達を呼んでくれると思っていたのですから、裏切られたと思った筈です。いずれにせよ、約束を破る人間も国も信用できません。

  国際社会と申しましたが、あの戦争で日本人は約3百万人が死にました。アジアの人たちはその10倍、約3千万人が死んだのです。もし憲法を変え、9条を変えるなら、国内外の膨大な数の死者たちは地の底から叫び出すでしょう。その叫びを未来永劫、決して黙らすことは出来ないでしょう。

  彼らを黙らせることはできないとは、そうなれば今後、日本人はアジアの人たちに受け入れられることはなく、金輪際信用してもらえることはなくなるということです。信義にもとる人や国を誰が信頼するでしょう。そんな恐ろしいことが行なわれようとしています。これは失政です。未来に対する間違った投資です。

  「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」イエスの言葉は、信仰の世界においても、社会と歴史の真実においても心に留め置くべき言葉であり、今後も永遠に妥当するに違いありません。

       (完)

                                             2015年5月10日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



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