必要な人


                     み告げ、降誕、博士訪問、幼児虐殺…      (右端クリックで拡大)
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                                                 あなたは必要な人です (下)
                                                 ルカ19章29-36節



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  主は子ロバを必要とされるのです。子ロバだからこそ働く場があり、小さくされた者しか表せない神の栄光があり、短所も長所もあって味わいが出て来、一筋縄でいかないから人生に深みが生まれるのではないでしょうか。

  「主がお入り用なのです。」子ロバが繋(つな)がれているから、それをほどいて引いて来なさいと言われます。もしかすると私たちは何ものかに囚われているのかも知れません。自由になっていないかも知れません。独り立ちしておらず、十分自分の足で歩いていないかもしれません。イエスはそれをほどいて自分の所に連れて来なさいと言われ、神のためにお用い下さるのです。

  ここにあるのはまだ若い子ロバですが、子ロバには、年を取り、膝が痛くなったり、歯が抜けたり、私のように少しボケ始めたり、全体がガタついたりして、年令によって小さくされた者。すなわち年取った子ロバ、古いロバである「古」ロバもいます。

  しかし、病気になったり、傷ついたり、以前のような自分でなくなり、小さくされた自分になってしまったとしても、いじけてはなりません。主は年取って古く小さくされた私たち「古」ロバもお用い下さるでしょう。

  私をお用い下さる。この感謝と喜びが大事です。誰に向って喜ぶのか。永遠なお方に対してであり、私の罪を全て贖って下さったお方にお用い頂けることの感謝です。

  半世紀近く長く教会でいますと、教会に折角繋がりながら、先週は誰かに誘われたから、今週は別の用事があるから、そして来週はと…人から誘いを受けたり、面白い催しなどがあるとそちらに行って、中々イエス様に根付かない人たちがあります。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。心が定まらない。

  信仰生活は主の前に静まる生活です。主の前に静まって、心を静められて生きるのです。すると神との交わりが生まれ、心定まり、真に大切なものにだけ心を込めて関わる人になります。静かな心はキリストの平和に与る心です。それがあると行動の中で確かさと実りが生まれます。

  弟子たちがそうでした。無学な彼らですが、主がお入り用なのですと言われて、一切を捨てて従った。むろん私たちは1人1人従い方は違います。皆が仕事を捨てて伝道者になることを求めておられません。むしろ主婦は主婦のままで、心を一層主に向け、主を愛する生き方をすることで、主にお入り用とされるかも知れません。同じ仕事をしながら、その仕事を主の栄光のためにと言う方向に変える。それが、自分に言われている「主がお入り用なのです」と言う呼びかけであると言う人があっていいのです。

  今、うわべが自信に満ちた社会が広がっているのではないでしょうか。だがその足元で社会に適応できない人たちが何と多く出ていることでしょう。社会は自信に満ちているようですが、ほんの些細なことで脆(もろ)く躓いてしまう社会、キレてしまう社会になっています。どれだけの人が自分を重要な人物と見ているかとか、自分がどれだけ成し遂げたかを余りにも気にかけ過ぎです。私たち個人は視聴率のようなものは関係ありません。そんなあり方に毒されてはならない。もっと重要なのは、神の国と神の義、すなわち先週も申しました、命の根源であるイエスに錨(いかり)を降ろすこと、イエスの前に静まり、イエスをお乗せすることです。イエスは私たちを、あなたを必要としておられるのですから。

  命の根源であるお方に錨を降ろすならば、人生の上り坂でも下り坂でも、力を出し惜しみせず、必要とされる所で喜んで工夫して働くことができるでしょう。イエス様をお乗せし、その栄光が現われるためにエルサレムに入場するのだという思いで、自分のなすべき業に徹することができるでしょう。それで十分です。

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  最後に、弟子たちは子ロバの背中に自分の服をかけ、「イエスをお乗せした」とあります。連れて来た子ロバに乗って頂いたのでなく、手伝って「お乗せした」というのです。どうしてでしょう。

  まだ誰も乗せたことがない子ロバです。突然背中に乗られたら驚いて暴れ出すかも知れません。ですから驚かさないように、そおっと、優しく、びっくりさせないように、イエスをお乗せしたということでしょう。

  人と接する時に、相手がびっくりしないように、先ず相手の話しをしっかり受け留め、評価したり同意したりしながら、自分の意見を言うことが大事です。人に取り入ることではありません。そういう取り入りの態度は、人は必ず見抜いていますし、その人を本当には信用しません。だが、急に自分の主張だけを突きつけるとか、相手を全面否定して主張を述べるとか、それでは相手が驚きます。人を乗せたことがない子ロバに乗る時と同じで、驚かしちゃあ、トラウマになります。

  聖書はそんな日常生活のあり方まで示唆深いことを語っています。

       (完)

                                             2015年5月3日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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