ダウン症のヴィル君


                         久しぶりに見取れました         (右端クリックで拡大)
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                                                 あなたは必要な人です (中)
                                                 ルカ19章29-36節



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  さて今日の中心ですが、イエスは、誰かから何か言われたら「主がお入り用なのです」と言いなさいとアドバイスして、ロバの子を引いて来させられましたが、この言葉は正確に訳すと、「それの主がお入り用なのです」となります。「それの主」とは、子ロバの主という意味で、英語訳の主は大文字になっています。その子ロバの主、すなわち神がそのロバの子をお入り用なのですと言う意味です。

  イエス様はまだ誰も乗せたことのない子ロバを連れて来させられました。海のものとも山のものとも分からないロバの子です。果たして主の御用が務まるのかどうか分かりません。暴れ馬というのがいますが、暴れロバであるかも知れません。大群衆に迎えられればブルブル震える気の弱いロバかも知れないし、ロバには酷いつむじ曲がりの奴がいるそうですが、至って御し難い、頑固な気性のロバかも知れません私は決して皆さんのことを言っているのではありませんよ。イエス様は、そんなロバの子を「主がお入り用なのです」と言って連れて来させられたのです。

  先程申しましたように、エルサレムに入るには急な坂道を下って谷底に降り、再び上り坂を登らなければなりません。坂を上る時はまだしも、降る時は前足に体重がかかって、背中に人を乗せていればつんのめらないとも限りません。

  家内はロバではありませんが、暫らく前から坂道や階段を降りる時に膝の関節が痛くてつんのめりそうで、私の腕につかまりに来ます。時々、老夫婦が腕組みして歩いていて仲がいいなと思いますが、そうじゃなくつんのめりそうなので支えているだけっていうこともあるって、最近我が身で知りました。この中に膝の痛い方がいらっしゃるかも知れません。40、50代はまだ他人事です。だが60代半ば頃になると、女性の多くは膝痛で苦しみます。若い方は今から歩く癖をつけて筋肉をお付けになっていた方がいいです。

  坂道のことで余分なことを言いましたが、イエスは戦争に勝ち誇った凱旋将軍のように立派な軍馬に跨って威風堂々と入場されず、来週の38節に「主の名によって来られる方、王に…」とありますが、まことの王なる方であるに拘わらず背の低い子ロバに乗って入場されました。それは、イエスご自身が尊大な方でなく、心の低い柔和な方であり、平和の王、平和の主であるためです。平和の王、主であるイエスは、平和を象徴してロバの子をお用いになったのです

  もう一度申しますが、イエスは生涯で一番大事なエルサレム入場に、威風堂々と軍馬でなく小さな背の低い子ロバをお用いになるのです。馬のような利発で、毛並みのいい、颯爽とした容姿端麗なものでなく、真に背の低い者、歩みののろい、馬のように利発でない者を敢えてお用いになるのです。

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  子ロバはまだ色々な事が分かりません。出来るかどうか不安も横切ります。だが、主はそのみ業のために、私たち小さい者をお用いになるのです。イエスは私たちについても、「主がお入り用なのです」と言われます。そう言われた時に、「ハイ、お用い下さい。お仕え致します」と自分を差し出したいと思います。用いて下さる時にお応えする。すると思いもよらなかった道が拓かれるのです。4月に洗礼を受けた方が、献金を数える係か聖餐式の準備の係にお用い下さいと申し出られ、その積極性に驚きました。人間は、思い掛けない所で、自分の知らなかった自分の力と出会うことがしばしばあります。

  最近、イギリスで教会関係の訴訟があり、最高裁判決が出されました。その判決を受けてある牧師はこう語っていました。「牧師は聖なる方に仕えているのであって、誰か人間に仕えているのではない。もし牧師が教会に仕える従業員になれば、牧師は教会の宣教の中心に存在する自由さを失うであろう…。」

  神に仕える。だから最高に努力して力を発揮しようとするのです。教会と言う人の組織に仕えているのではない。最高裁がこういう判決を出したのです。日本では即却下でしょうが、さすがはイギリスです。人に気に入られようとするのでなく、神に気に入られようとする。その自由を失えば牧師の存在意義がなくなると言うことでしょう。牧師だけでなく信仰者は皆、教会や組織に仕えているのでなく、神に、キリストに仕えているのです。間違ってはなりません。

  別の話ですが、アメリカで、空を飛ぶダウン症の子どもの写真が有名になっています。ヴィル君という3才ほどの子どもがリビングや鏡の前やお母さんの傍ら、また野原などで軽快に飛んでいるのです。

  数年前、ローレンスさんの家にダウン症児がやって来たと知った時、両親は非常にショックを受けたそうです。当然だと思います。お先真っ暗になったのです。ところが写真家のローレンスさんは、工夫して、このダウン症の子が家の中や外で、家族は地上にいるのですが、彼だけ空を飛んでいる写真を何枚も撮って、「ダウン症児のいる世界は神の祝福がある世界だ」とか、「ダウン症児はこんなに自由だよ」と、ダウン症児を広く知ってもらおうと、空を飛ぶ写真を撮って啓蒙活動を始めたのです。むろんトリックを使って空を飛んでいる風に撮影しているのです。

  一時は、この子は家庭に暗い影を落としました。だが、マイナスが今、プラスに変じ、世界の人が空を飛ぶヴィル君と家族の写真をカレンダーなどに使って、その益金がダウン症児の基金や障害児の基金に寄付されるようになったのです。それだけでなく、ダウン症児は生まれない方がいいと言って命の選別をすることへの再考を促し、偏見の解消のために働くことになっているのです。

  小さな子どもをウサギのケースに入れて虐待して何日も食べさせず、下の世話もせず、殺してどこかに捨てた事件が起きました。胸が潰れそうな事件で、可哀そうでなりません。人はそんなことも出来ますが、ダウン症児と一緒に人々に希望を与えることも出来ます。

       (つづく)

                                             2015年5月3日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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