闇の中でも見ておられる


                    シャトレ広場のヤシの泉の塔、右がSt.ジャック塔   (右端クリックで拡大)
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                                                 闇の中でも見ておられる (中)
                                                 詩編139篇1-24節
                                                 ヨハネ8章12節


                              (2)
  このように歌って、今日の中心、5月から礼拝招詞で読まれる11節、そして12節が語られるのです。「私は言う。『闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。』 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇も、光も、変わるところがない。」

  ある英訳聖書は意訳でしょうが、この冒頭に「私は言う」でなく、「私は言おう」という言葉を置いて、こう訳しています。「私は言おう。 闇よ、私を覆い尽くせ。夜よ、私を閉じ込めよ。だが、あなたにとって闇も闇ではない。夜も、真昼のように明るい。」闇に覆われても雄々しくこう言おうと言うのです。

  日本語訳でも、英訳でも、何かとてつもなく深い、深淵な真理が言及されているように感じます。真っ暗な闇黒(あんこく)が私を覆い、私がそれによって支配し尽くされようと、たとえ恐ろしい闇の中に完全に飲み込まれ、閉じ込められても、あなたの御目はいとも容易に闇の中を見通される。闇も闇でなく、夜も夜ではない。夜も真昼のように私をご覧になる。

  「闇の中でも主はわたしを見て下さっている」とは、実に嬉しい知らせです。「夜も光がわたしを照らし出す」とは、たとえ私が夜の闇に覆われていても、稲光が輝けば一瞬に私の存在は明るく照らし出されるように、必要な時に神は明るみに照らし出して下さると語っています。神の光は、隠れているどんなものも明らかにして下さるからです。

  「闇もあなたに比べれば闇とは言えない」とはどういうことでしょう。更に、「夜も昼も共に光を放ち」とは、夜が昼と一緒に光を放つとは何のことでしょう。そして、「闇も、光も、変わるところがない」とは、実に非常識な言い回しです。

  結論を申しますと、ここで語ろうとしているのは、だから案じるな。安心するがいいということです。1つは、私たちが持つ葛藤のある、時に非常に疲れる人間関係において現われる闇です。そして次に、自分自身が抱える自我の問題、そこで苦しめられる自分自身の夜です。それから社会の中の闇。だが案じるな。慌てるなと言うのでしょう。

  先週はザアカイのことを通して自分の問題や人間関係の問題に触れましたので、今日は社会のことで申しますが、時代がどんなに動こうと、どんなに時代が狂って闇黒の時代が来ようと、主は、闇の中でも何がそこで起こっているかをつぶさにご覧になっているのです。落ち着いてあなたの時代の姿を見分け、よく見て、その中で主を信頼して、落ち着いて愛を持ってよく生きよ。

  主は厳然と存在される。だから、闇の力が感じられる暗黒の時代の中にも、心に平和を持って生きよ。喜びを持って生きよ。隣人への温かさ、思いやり、感謝を持って生きよということでもあります。それ程主は強くおられる。だから、あなた方も雄々しくあれということです。

  求道者会で学んで来た本で、暫らく前に「バラバ」という小説が取り上げられていました。ノーベル賞作家のラーゲルクヴィストの作品です。舞台はイエスの時代です。バラバは強盗殺人の重罪で死刑の判決を受けたに拘わらず、過ぎ越しの習わしに従ってピラトはイエスを釈放しようとしますが、民衆は長老や祭司長に扇動されてイエスを十字架につけよ、バラバを釈放せよと叫びます。それで極悪人の彼はイエスに代わって釈放されたのです。罪なき人が十字架で処刑され、罪を重ねて来た悪人の自分が無罪放免になった。その不可解さを引きずって、その後彼は生きて行きます。やがてまた彼は捕まり、奴隷船で大勢の奴隷たちと舟を漕がされることになります。そのうちの一人のクリスチャンと親しくなりますが、彼は何も悪いことをしていないのに奴隷船で地獄のような酷い目に遭っている。それなのに、実に安らかに労役に服しているのです。彼の心は平らかであり、人をも平和にする力がある。喜びすら与える。それがバラバに不思議でならないのです。

  小説ですが、暗黒の世にあってもキリストは世の光として彼らを照らしているからです。だから不思議な平和が青年の上に漂っているのです。

  定期総会資料に書きましたように、時代の流れが激しく移り変わっています。人々はその中で色々と時代の問題に翻弄され右往左往しています。若者も高齢者も、働き盛りの人も、子どもたちまでも、です。教科書にまで偏向的な思想が入りつつあります。子どもを国家主義的な思想から今後どう守ればいいのかと思います。正社員と言ってもいつ墜落するか分からないと脅される時代です。その中で、この下町にある教会は、人々に「希望を指し示す教会」になっていくことを願っています。

  この139篇は、3千年程前に書かれましたが、やはり現代の日本や世界が取り囲まれているのと似た、闇や夜の状況を経験していたに違いありません。もっと酷かったでしょう。だが、たとえそうであっても、主なる神は、「闇の中でも…わたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す」と語るのです。このように語って自分を励まし、信仰の群れを、地上を旅する神の民を励まし、世界の人たちを励まそうとしたのです。

        (つづく)

                                             2015年4月19日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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