心にフィットする3千年前の歌


                         久しぶりにパリに来ました。       (右端クリックで拡大)
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                                                 闇の中でも見ておられる (上)
                                                 詩編139篇1-24節
                                                 ヨハネ8章12節


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  今日は礼拝後、定期教会総会があります。その開会礼拝も兼ねて、5月から礼拝の招詞に用いられる詩編139篇11節を中心にお話しさせて頂きます。

  先ず139篇全体に耳を傾けますと、この詩編は神の全知の知識をほめたたえる詩編で、約3千年前のものですが、とてもそうとは思えないほど現代人の心にもフィットする、素晴らしい人類の知的遺産の1つと言えるでしょう。神様のまったき知識とご配慮、その心遣いとみ業を歌っています。

  先ず、あなたは私を調べ、私の坐るをも、立つをも、歩くをも、伏すをも、ことごとく知っておられると語ります。あなたは、私から遠く離れておられても、傍におられるかのように私の事をご存知ですと歌います。

  私の一挙手一投足だけではありません。私の動作や所作だけでなく、言葉が口から発せられる前に、私が語ろうとする内容をことごとくご存知である。私の心の内、私の思いを、私以上に正しく察知しておられます。だが秘密警察のように疑いの目で探られるのでなく、私の前から、後ろから、また上から下から私を守り、ガードして下さるためだと語っています。驚くべきその知識は私を遥かに超え、余りに高くて私には捉えることは不可能ですと言うのです。

  これだけでも全知全能の神の偉大さが伝わって来ます。ここにあるのは、私が自分を究める以上に、あなたは私を究めて下さる。だから喜びであり、感謝でありますと語るのです。私の弱さも強さも、歪みも凹みも、悲しみも小さな喜びも皆、知っておられるから嬉しいのでしょう。皆の前では心の凹みはそんなに見せませんが、家に帰って自分の部屋に入ると自分の凹みにこたえてしまったり、実際凹むことがしばしばあります。それが私たち生身の人間でしょう。

  また、なぜ座るのか、なぜ立つのか、我知らずそうすることも知って下さり、その上、遠くから私の心の計らいを知って下さるから信頼できるというのでしょう。

  そして少し飛ばして次のページで、13節以下では、私の出生について、誕生前に母の胎内にあった時のこと、私の内臓や器官が組み立てられて、驚くべきものに造り上げられたことを歌います。神の計らいの堅かさと摂理の細やかさです。現代的に言うなら、更に細胞が造られ、細胞分裂して臓器が造られただけでなく、私という存在自体が秘められた所で神によって創造された様が、古代人の目線で克明に描かれています。

  古代人は、ここに描かれたこれらの洞察に、驚きの目を見張って読んだことでしょう。

  話は飛びますが、今、脳の働きの解明が進んでいます。頭の中に生まれた言葉や感情の起伏が血の流れとなって変化するのを、放射性物質を使って観察する装置が次々と生まれています。

  人の言葉は動物たちの鳴き声や叫びとは明らかに違います。私たちの言葉は考えや感情、また意志の微妙なニュアンスまでを伝えます。それができなければ人間関係がギスギスします。むろんニュアンスを伝え過ぎるからギスギスすることもあるでしょう。この複雑な声、音声の組み合わせを可能にするために、大脳の言語中枢が発達したのだそうです。そして脳の発達に対応して、言葉を話す口の構造が進化したようです。こうして人間だけが言葉を話す高度な機能をもつようになり、自在に口を操り、考えを表現し、情報を伝達し、意志を伝え、また知識を貯め、蓄積し、文化を他の人たちに伝え、更に後世の人々に継承することができるようになりました。(「人体―人体データブック―」など。)

  心の動きは取りも直さず脳の働きですが、いわゆる数百億個にのぼる脳細胞とそこから数万の突起が伸びて、それが互いに絡み合い、数百兆から数千兆もの実に複雑な回路、網の目のネットワークが作り上げられて、言葉や呻きや言葉にならない呟きなどになって出て来るようです。

  私が今こうしてお話ししている間にも、脳細胞が何億となく突起を出し、黙々とネットワークを作る作業をしているのだと思います。細胞や突起が自分のことが言われているのを知らずに、そんな仕事をしているわけです。

  神様は、脳細胞とかニューロンとか神経繊維とか、そして複雑な網の目の数千兆もの砂粒よりも多いネットワークが作れるように、「秘められた所で」、私の最初の一日から既に私の脳細胞を造る準備をされたのでしょう。この詩編にあるように、「驚くべきものに造られた」としか言えない、「地の底で織りなされた」としか言えないような世界です。そして意志や考えがこのネットワークの網目に現われるか現われないうちに、即ち、「未だ舌がひと言も語らない先に」、私の意志や思いや考えを全て、神はご存知である。しかもそれを究めたと思っても、更に究め難いものの中にあるとこの詩編は歌うのです。

  実に気が遠くなるような偉大な世界です。今、脳科学はこの詩編が歌うそんな所を、決して究め尽くせませんが研究しているようです。

  次に7節以下で、「どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば…」と、神はどこにも遍(あまね)くおられると、神の遍在性を歌います。

  どこに行けばあなたの霊から逃げることができ、離れることができるでしょうか。天に昇ろうと、黄泉に、地獄に降ろうと、また曙の翼をもって勢いよく猛スピードで海のかなたに飛び去っても、また絶海の孤島に隠れ住んでも、あなたはそこにおられる。あなたはそこにもおられて、あなたの強い右のみ手を持って私を捉え、導き、保護して下さる。

  この詩は恐らく反語的に、だからどこに行く必要もないのだ。あなたのおそばで過ごせばいいのだと語りたいのでしょう。単純素朴にあなたに委ね、あなたのお傍で憩って過せばいいのだと言うことです。大きなことを言う人でも、私たちはある日突然、フッと消え去っても仕方のないような小さな存在ですが、根本の所でつなぎ止めて下さっているお方に委ねて、安んじて生きればいいと言うことです。

  このように、非常に印象的に、大能の神の偉大さを、その恵みを、言葉を尽くして歌います。


        (つづく)

                                             2015年4月19日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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