メルケルさんがくれた 友情のメッセージ


                     ブラザーの聖書講話は楽しいひと時        (右端クリックで拡大)
                               ・



                                                  青年Tへの勧告 (下)
                                                  1テモテ5章17-25節



                              (3)
  次に移って、22節で、パウロは青年テモテに、改めて「厳かに命じる」と述べた後、「偏見を持たず」とか、「えこひいきはなりません」と語り、「性急に誰にでも手を置いてはなりません」、「他人の罪に加わってもなりません」「いつも潔白であれ」などと語って、青年Tへの勧告、青年伝道者テモテへの愛に基づく勧告をしています。

  「手を置く」とは長老や伝道者の任職式の按手を指します。洗礼の按手も指しているかも知れません。軽率であるな、急ぎ過ぎるな、慎重であれと語ります。また、私たちは「他人の罪に」安易に加わってしまう事があります。先ほどの教会のことでも、何人かが鋭く弁の立つ男性の鋭い言葉に乗ってしまったのです。それは罪に加わることです。ですからいつも潔白でなければならない。

 「ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。 」罪も善い行いも、たちまち明らかになるものもありますが、じれったいかも知れないが、忍耐して、待って、待って、時間が経たなければ明らかにならぬものも多くあります。それを、なるべく早く明るみに出したいと焦りが先行すると失敗します。「隠れたままであることはない」のです。やがて神が明らかに、白日の下に晒して下さると青年Tに勧告するのです。

  先週、ドイツからメルケル首相が来日して講演や記者会見をしました。メルケルさんは、「過去のナチス・ドイツの総括が和解の前提になっている」と大胆に語りました。侵略戦争に対する血の流れるような反省、心からのお詫びがあってこそ、他国との和解が成立し、今日のEU誕生の原動力になったということでした。自分の罪を軽くし、相手の非を重く見るという偏見や、えこひいきがあってはならない。この公正さ、公平性です。

  彼女は東ドイツ出身ですが牧師の長女です。20代、30代は理論物理学者として客観性を重視する科学の道を歩みました。
 
  「偏見を持たず」とか、「えこひいきはなりません」というパウロの言葉は、今日の日本の在り方にも向けて語られているのでないかと思いました。えこひいきや偏見でなく、公平さこそ教会を成り立たせ、国を品位あるものとし、近隣諸国との関係を健全にし、世界の平和を確立させる前提であるということです。むろんもっと身近な、子どもたちに対しても公平さが大事です。

  良薬、口に苦しです。メルケルさんの日本政府に対する痛い発言は、戦後70年目を迎えた日本のあり方への、友情のメッセージではないでしょうか。箴言27章に、「人はその友によって研磨される」とあります。私たちは、傷に塩をぬられたと解するのか、たとえヒリヒリ痛いが友情によって研磨されるとはこういうことだと喜ぶのか。それが人生を左右し、国を左右し、いやアジアを左右するかもしれません。耳の痛いことを拒絶していては、真の友を失うでしょう。甘い言葉で味方を作るこの世において、箴言の言葉は心を開いて真っ直ぐ聞くべき言葉です。まことの友こそ、痛いことを言ってくれるのです。

  偏見を持たず、えこひいきせず、性急に裁かず、他人の罪の尻馬に乗るな。いつも潔白であれ。パウロは伝道者Tにこう勧告したのです。

      (完)
    
                                             2015年3月15日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・