バランスのとれた信仰


                         隣村Ameugnyの牧場からの眺望       (右端クリックで拡大)
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                                                  青年Tへの勧告 (上)
                                                  1テモテ5章17-25節


                              (序)
  この手紙は1世紀後半から2世紀初頭にかけての教会の姿をよく反映していると思います。

  2章初めには、「まず第一に…願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のために、…王たちやすべての高官のためにもささげなさい。…常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。…」とあって、教会はキリスト者だけでなくすべての人々のために祈りを捧げて、徐々に社会に根付きつつあったと思われます。ローマの高官やその家族に信仰者が生れていたかも知れません。

  その時代に、この手紙は2章で教会の監督や奉仕者の資格について述べ、5章では教会が世話をするやもめの資格、そして今日の所には教会の長老のことが書かれて、教会の組織や制度がおぼろげに整いつつあったと思われます。

                              (1)
  17節には、「よく指導している長老たち、特に御言葉と教えのために労苦している長老たちは2倍の報酬を受けるにふさわしい…」とあります。長老とあるのは今の教会役員や牧師を指すでしょう。

  長老派や改革派の教会では今も、牧師も長老の一人で、宣教長老と呼ばれて説教に携わり、信徒の長老は治会長老と呼ばれます。教会という会を治める信徒役員が治会長老と呼ばれるのは、様々な実務、会計や書記、教育、婦人会、営繕の担当して教会を治めるからです。この教会で言えば、会計役員や伝道牧会担当役員、社会担当役員、教会学校校長というような分類です。

  当時の長老の中に、この場合は牧師ですが、「御言葉と教えのために労苦している」人たち、すなわち御言葉の解き明かしである説教と信仰教育、この2つに携わる人たちがいたのです。当時はまだ教会の附属学校はありませんが、分かりやすく言えば、日曜日は教会で説教を担当し、その上、平日も信仰教育に携わる牧師たちは、2倍の報酬を受けるにふさわしいと勧めているのです。確かに一般の牧師より仕事量が多く、「よく指導している長老たち」と言えるわけです。

  ただ、今日、報酬といえば直ちに金銭のことを考えますが、報酬とは原文では「敬うこと、尊敬」という言葉が使われて、必ずしも金銭を指していません。2倍の「尊敬という報酬」を受けるにふさわしいというのかも知れません。

  ただ色々な学者がいて、これは精神的な尊敬と実際的な謝礼を指しているという人たちもありますし、ある英語訳は「2倍の牧師給がふさわしい」としています。

  ただその場合でも、次の6章8節以下には、「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです」と語り、「 金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です」と歯止めをかけています。同じ趣旨は、手紙を閉じる6章17節以下でも窺えます。それで、2倍の牧師給を差し上げるべきだというのでなく、そういう値打ちのある働きをしている。評価してあげなさいと言っているだけかも知れません。

  また、2倍の牧師給を受ける人でも、先週、お話しましたウルガイの前大統領のように報酬の90%を慈善に献げて、8万円の給料しか貰わず、「大統領になっても、自分の生活スタイルを変えようと思いません」というような牧師は中々いないでしょうが、そっくり受けるかどうかは別問題です。

  ただキリスト教信仰というか、聖書はバランスが取れていることに驚きますが、次の18節を読むと、「聖書には、『脱穀している牛に口籠(くつこ)をはめてはならない』(申命記25)と、また『働く者が報酬を受けるのは当然である』と書かれています」とあります。「口籠」というのは、牛や馬が噛み付くのを防止するために口に嵌めた籠、マスクのことです。脱穀している牛にそれを嵌めてはならない。すなわち働く者には相応の報酬を与えなければならないということです。

  ここでパウロが語るのは、伝道や信仰教育で報酬を頂くのに罪悪感を持つ必要はない。遠慮する必要もないということで、感謝して頂けば良いということです。伝道者は肩身の狭い思いをする必要はないと慰めに満ちたアドバイスをしています。まだ十分自信がない青年伝道者T、テモテも悩まず伝道に専念できるためです。

  今日の社会で「働く者が報酬を受けるのは当然である」というパウロの発言から考えさせられるのは、従業員の時間給を下げてはならない、残業で時間外労働をしているなら相応の手当を支払わねばならないということでもあります。会社が儲かることばかり考えて、従業員の福利厚生、給与の充実を怠ってはならぬということです。ここは極めて今日的な問題に発展します。あるいは、外国人労働者を、僅かな、余りにも低い低賃金で雇ってはならないということです。

      (つづく)
    
                                             2015年3月15日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



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