身寄りのないやもめ―2千年前―


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                                                   身寄りのないやもめ (3)
                                                   Ⅰテモテ5章17-25節
        

                              (3)
  次に5節以下で、「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けますが、 放縦な生活をしているやもめは、生きていても死んでいるのと同然です」とあります。放縦と言われています。厳しいですね。これは別の時に取り上げましょう。

  ところで、新約聖書には、真に身寄りのないやもめが、人々から食いものにされる場合があったと述べられています。それと共に、貧しい中にも、神に持てる物を精一杯献げる人があったり、気を落とさず絶えず祈り、正義が回復されることを待望しているやもめたちも出てきます。食い物にされて、正義の回復を切に待望するやもめです。コリント前書7章ではまた、世の事に気を取られず、神に向かうことに集中するやもめのことが記されています。今日の、「身寄りがなく独り暮らしのやもめは、神に希望を置き、昼も夜も願いと祈りを続けます」とあるのは、そういう婦人たちでしょう。

  彼らは、今後は自分を神に献げて行こうと、こころ定めている女性たちです。これまで世の雑事に心惑わされて来たが、キリストに目を注ぎ、神と真理に向かって進み、人間から神への方向転換を決意した高齢の女性たちの、神への美しい献身の生き方であります。

  当時、真に身寄りのないやもめの登録名簿があったようで、それが9節以下に出ています。「やもめとして登録するのは、60歳未満の者でなく、一人の夫の妻であった人、善い行いで評判の良い人でなければならない。子供を育て上げたとか、旅人を親切にもてなしたとか、聖なる者たちの足を洗ったとか、苦しんでいる人々を助けたとか、あらゆる善い業に励んだ者でなければなりません。」

  子供を育て上げたとは、自分の子でなく孤児の養育のことです。また「聖なる者たちの足を…、苦しんでいる人々を助けた…、あらゆる善い業に励んだ者」というのは、教会員や教会に関係する人たちへの奉仕です。登録にはそんな幾つかの目安があったようです。今日なら別の基準が作られるかも知れませんが、教会の力には限度がありますから、隣人愛に生きて来た、良い評判の人を原則にしたのでしょう。

  11節以下には、「 年若いやもめは登録してはなりません。というのは、彼女たちは、情欲にかられてキリストから離れると、結婚したがるようになり、 前にした約束を破ったという非難を受けることになるからです。 その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、おしゃべりで詮索好きになり……。だから、わたしが望むのは、若いやもめは再婚し、子供を産み、家事を取りしきり、反対者に悪口の機会を一切与えないことです。…」とあります。

  「情欲に駆られて」とあるのは口が悪いです。頂けない翻訳です。元の言葉は、ナチュラルな、自然な願望です。自然な情熱からという意味です。ただ12節にあるように、やもめ登録に誓約が伴いましたから、誓約したのに再婚したとなると約束違反という非難を受けます。だから若いやもめはリストに入れず再婚を勧めたのです。女性が独立して生計を立てるのは極めて困難な2千年前です。再婚が若いやもめの最善の道であったのでしょう。

  13節以下に、「その上、彼女たちは家から家へと回り歩くうちに怠け癖がつき、更に、ただ怠けるだけでなく、おしゃべりで詮索好きになり、話してはならないことまで話しだします」とあるのも若いやもめに対する辛口の厳しい批評です。これらはやもめでなくても慎むべきことです。特に、「おしゃべりで詮索好き、話してはならないことまで話し出す」人は、今日、一般社会でも嫌がられます。言葉は慎むべきで、どんな人もタガが外れては醜いものです。

  こうして最後に16節以下で、「信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます」と述べています。

  やもめについて述べられて来たのは、教会が1人でも多く、身寄りのないやもめをよく世話するためです。ですから、身内がいるやもめは身内で世話をすべきで、教会に任せて知らぬ顔であってはならないと戒めています。くれぐれも注意がいるのは、これは2千年前のパレスティナのことです。今の日本に適用できません。「負担」とあるのは教会の経済的負担や奉仕の負担でしょう。


       (つづく)


                                             2015年3月8日




                                             板橋大山教会 上垣 勝



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