叱らず諭(さと)す


                         ブルゴーニュの田舎村にて
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                                                   叱らず、諭すこと(中)
                                                   Ⅰテモテ5章1-2節


                              (2)
  今日の箇所は、青年テモテに、「むしろ、自分の父親と思って諭しなさい」と諭しています。

  今の父親の多くは、あまり威厳はありません。大昔の父親は威厳が備わっていたのでしょう。  今は学校を出てエスカレーターに乗ると、皆が皆ではありませんが、そのままズーッと上がって行って、それなりの仕事をして、それなりの地位につき、やがてエスカレーターを降ります。零細企業の事業主のような経営の火の車を何度も経験して、それを何度か立て直して乗り越えて来た。それを家族も間近で見て来たというのとは違います。逞しい父の姿を見せて来たということが少ない。しかし昔は、家族を食べさせるために日夜辛苦して苦労をして来た父親の背中を見て来たので、その歴史を知っています。病身の父が苦労して一家を支えるのを見て来たという場合もあります。

  「自分の父親と思って」という言葉には、そういう内容も含まれているでしょう。テモテが、目の前にいる老人を自分の父親、母親と思うと、その人をこれまでより情が湧き、何か深く理解できるようになるということです。

  私たちもそう見ると、お年寄りは色んな経験が詰まっている宝の宝庫であるのが見えて来ます。その人しか味わったことのない経験の宝の山です。だが、年を取ると勘違いが多くなり、思い込みや正しく理解していないことが多くなります。記憶力も落ち、名前が覚えられないし、出てこない。この間のある会で私がそうでしたが、昨日と今日がごっちゃになることすらある。また何度も同じことを聞いたりで、じれったくなることもあるのですが、短気に叱る私たちを反省して自分の父と見ると、労りが生まれ、多少尊敬できる人になるかも知れません。

  「叱るのでなく、諭(さと)しなさい」と語っています。叱ることについては先に申しました。諭すという言葉は今あまり使われません。しかし大事な日本語です。教諭の諭ですが、言い聞かせる、教えて悟らせるという意味や、言い含めるという意味があります。

  しかし聖書のギリシャ語では、側に呼び寄せて語りかけるというのが基本的な意味です。そこから、ねんごろに語る。念入りに語る。真心を込め、丁寧に語る。穏やかな心遣いをもって語る。訳を言い聞かせる。いずれにしろ、そばに呼んで愛を持って語ることです。

  この態度は、老婦人や若い男性、女性に対しても通じることで、やはり側に呼んで、あるいは側に行って語りかけなさい、「諭しなさい」と語っています。

  次に、若い男には、「兄弟と思って」と申します。これは今日でも大事ですし、教会だけでなく職場や他の場所でも大事だと思います。「兄弟」と思うと親愛の情が湧きます。同じ家で生まれ、血を分けた兄弟でなくても、兄弟と思うだけでやはり接し方が変わるでしょう。教会の中なら、キリストにあって兄弟にされているということです。

  兄は、弟より数年先を行く者として、青年の陥りがちな誘惑や失敗の手痛い経験をしていますから、自分の失敗も交えてねんごろに側で話すと、若い男性も受け入れやすいでしょう。

  「年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って」とありました。テモテの母も祖母もキリスト者でした。初代キリスト教徒の一人で、その息子として信仰を持つ者として育ちました。

  若い女性には「常に清らかな心で」と語っています。時々でなく、常にが大事です。

  今のところ、教会に多くの若い男性は来ていません。そんな男性も多く来て欲しいと思いますが、若い男女が集う所は特に配慮がいります。ズバリ言うと、男女の問題が起きることがあるからです。三角関係が起こることもあります。結婚している中年の人でも油断なりません。自由、解放の空気が過ぎると、過ぎるとですが、人間の集まるとこですから教会の中で不倫も起こることがあります。遠くのある教会でそんなことがありました。コリント教会がそうだったのです。それで、コリント教会は長く随分苦しみました。パウロは憂慮して何度も懇切な手紙を書きました。

  以前申しました近くのある沿線のある大きな教会は、他教派ですが、若者たちが結構集まる所だったらしいですが、随分前ですが、人気のある若い牧師と数人の教会員の女性の間で性の問題が起こりました。死亡事件さえ起こりました。だが役員会はそれを握りつぶしました。諭すべき立場の人が、諭されねばならない所に置かれる。ですから若い女性には常に清らかな心でということが大事です。

  テモテはパウロの弟子として、あちこちの地を訪ね、1年、2年滞在して教会を作ったり、既にある教会を励まして巡回伝道をしましたから、教会形成に何が大事なのか、老人や老婦人また若い男性や女性に接する場合に心掛けねばならないことは何か。その一端がここに出ているわけで、一言で言えば、教会は神の家族である。神の家族のようであれ。皆、キリストによって招かれている者として敬意を持ち、相互扶助、共に助ける共助の精神を持てということでしょうか。

                              (3)
  話はガラっと変わります。今、親や科学者が意図しデザインした、彼らが望むままの子どもを産むというデザイナー・ベイビーが一歩現実味を帯びて来ました。

       (つづく)

                                             2015年3月1日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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