約9千年前の古い井戸


             ブルゴーニュの民家のお庭。日本と似たところ似ていないところがありました。
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                                               エリコの道端であった事件 (上)
                                               ルカ18章35-43節
         

                              (序)
  「イエスがエリコに近づかれたとき」とありました。エリコは世界最古の町で、紀元前8千年、今から1万年前には既に塀で囲まれた町がありましたし、9千年前と言われる古代の井戸が現在発掘されて側で見ることができます。

  ここは、北のガリラヤ湖から流れ出たヨルダン川が南に向かい、死海へと注ぐ川の西側にあります。またエリコの町から山裾を登るとベタニヤやベトパゲの寒村に達し、そこからオリーブ山に至ると、眼前に谷を挟んでエルサレムの神殿や市街地が一望のもと見渡せる絶好の展望台に着きます。それから深い谷を下り、谷底から再び山を登ると、シオンの丘即ちエルサレムです。

  現在もイエスの時代とほぼ同じ地形ですから、イエス様の一行は今申しましたルートを通ってエルサレムに入場されたことが、19章の各段落を追って行くと分かります。

                              (1)
  さて、「イエスがエリコに近づかれた時、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた」のです。

  今は道端で乞食をするのを日本ではすっかり見かけなくなりましたが、60年ほど前は、お寺の縁日や、人通りの多い橋や門などで物乞いする人がいました。当時、戦争で足や腕を失った傷痍軍人が町に溢れていて、彼らがアコーデオンを弾いたりハーモニカを吹いたりして物乞いをしていました。中には義眼の人や、両眼を失って白い包帯を目から頭に巻いた人もいました。

  今、再び戦争を肯定する政府が出て来ましたが、歴史の過去に誠実に向き合うなら、これは極めて危険な浅墓なあり方と言わねばなりません。発言を聞いていると敵を挑発しかねません。いくら経済のためとはいえ、戦争の悲惨さを知る世代が激減する中で、歯止めのない異常な時代を迎えています。

  その事はこれで置きますが、エリコの道端で物乞いをしていた男は、「群衆が通って行くのを耳にして、『これは、いったい何事ですか』と尋ねた」のです。

  全盲の方は目から情報が入りません。音で周りの様子を察知されます。それで、目の見える人とは違った感覚で世界を把握しておられると思います。Aさんは今日は…、ああ、お休みですが、まだ視力が僅かにお有りなのでどうか知りませんが、以前全盲の方が教会に来られた時に、耳で教会というのを掴んでおられました。即ち、聞こえて来る話し言葉だけで、この教会を理解しようとしておられました。これは目の見える者とは全く違う理解の仕方で驚きました。

  ですからこの男も、ゾロゾロゾロゾロと前を行く群衆が、同じ群衆であってもいつもと違う雰囲気である事に気づいて、「これは、いったい何事ですか」と尋ねたのです。恐らくじっと耳を傾けて暫く聞き入っていたのでしょう。

  すると、「ナザレのイエスのお通りだ」と誰かが教えたのです。群衆の一人でしょうか。それにしても、偉そうな口ぶりです。このお方は、盲人や乞食などと関わりになられないと言いたげです。盲人というので、横柄な態度を取ったのでしょう。

  聖書は、ここに人の心に潜む罪を暗示しているのでしょう。また、盲人や病人や障害者が日頃味わっている世の冷たさ、悲哀を書き留めているのでしょう。医者ルカは、そんなことを訴える盲人や障害を持つ患者を通して、健康な者には分からない悩みを教えられていたのかも知れません。

       (つづく)

                                             2015年2月22日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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