生き方を深められた金持ち


                          Ameugny村のしあわせな鶏        (クリックで写真拡大)
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                                                  捨てる (上)
                                                  ルカ18章28-30節
         

                              (序)
  今日はイエス様と大金持ちの議員との会話の3回目です。先週の所では、イエスはこの議員を見て、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」とおっしゃったのでした。すると、2人の会話を聞いていた人たちが、弟子たちでしょうが、「それでは、だれが救われるのだろうか」とつぶやいたのです。

  彼らは財産をすっかり捨てることの困難さを思い、同時にラクダが針の穴を通るという全くの不可能さを思って、では一体誰が救われるのかと問った。

  それで複数の人々の反応を知った議員は、自分だけが深刻に受け止めることでなく、他の人も同様であることに気づいて少し安心した筈です。しかもイエスは、さらに安心させるかのように、「人間にはできないことも、神にはできる」と明言されたのです。

  これを聞いて金持ち議員は、じゃあ何も深刻にならなくていいんだ。「人間にはできないことも、神にはできる」のだから、自分だけがそんなに気張って捨てなくていい。イエスは少し脅されただけで、実際には全く以前通りの生き方でイエスに従って行けばいいのだと思ったでしょう。

  ところが脇からペトロが、「このとおり、わたしたちは自分の物を捨ててあなたに従って参りました」と言ったのです。彼は、ガリラヤ訛りの、教育もない漁師の思いがけない言葉にびっくりし、再び気持ちを引き締められたでしょう。トコロテンのように何も変わらず、何も捨てず、安易なままイエスに従っていけると一時的にでも思った自分を恥じたかも知れません。深刻になり過ぎることはないが、安易に流れてはならぬと思わせられたでしょう。これまでしばしば申しましたが、まさにイエスは彼の生き方を深められたのです。

  私は先週、イエスとの緊迫するような出会いによって生き方を深められていった大金持ちの議員は、もしかするとアリマタヤのヨセフであったかも知れないと申しました。ヨセフはイエスとの真剣な深い出会いを経験したからこそ、イエスの死に臨んで、自分の名誉も財産も地位も捨てる覚悟で、たとえそれらをすっかり剥奪されても本望だとして、遺体の引き取りを申し出たのでないか。彼はイエスによって愛され、不完全さを気づかされ、徹底的に砕かれて低くして頂いたからこそ、やがて弟子たちの一番後からついていく弟子として、イエスに従ったと想像されると申しました。

         (つづく)

                                            2015年2月8日


                                             板橋大山教会 上垣 勝



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