全盲のモハメド君


                             Taize村に上る道
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                                                    悲しんだ資産家議員 (下)
                                                    ルカ18章15-23節



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  暫く前に新聞を見ていましたら、「東京は音と匂いに溢れている」と語って、白い杖を手に東京を歩くスーダン人のイスラム教徒、モハメドさんのことが載っていました。

  食欲をそそる焼肉の匂いは弁当屋だそうです。ザーっと、耳をつんざく音はパチンコ屋です。彼はいつも通る道を、目印でなく、お茶屋さんとかコーヒー・ショップとかいつもいい音楽を流している店とか、鼻や耳で確認しながら、それらを鼻印や耳印にして目的地に行くそうです。祖国のスーダンでは羊のフンの臭いや、溶接屋のパチパチという音が道を歩く目印であったそうです。なるほどそういう歩き方があるんだと思いました。

  軍事政権下のスーダンで生まれ、父親は技術者でしたが組合活動を理由に解雇されました。彼は視力を失っていましたが猛勉強をして首都の名門大学に入りました。しかし点字図書も視力障害者用の機材も皆無。そういう中で日本で鍼灸を学ぶ留学生募集を知って、名門大学を中退して19才で日本に来たのです。

  県立盲学校の高等部に入り、自分より3、4才若い人と鍼灸点字、日本語を学び始めました。盲学校には寮がありましたが、週末は寮が閉まるので、土日は町のお年寄り夫婦と学校の職員の方の家に泊めてもらっての3年間でした。

  卒業後、日本語と日本の政治や歴史や文学を学ぼうと東京外語大に進みました。盲学校高等部からですよ。すごいですね。大学院では方向を変えて平和構築学を学びました。世界やアフリカ、特にお国のことなどを考えてでしょう。その後スーダンに帰り、結婚し、3児をもうけ、博士号を取り、去年から東京外語大学に戻って今度は教えることになったのです。

  私は今、モハメド君のことを紹介しましたが、先々週、1月9日の新聞を開いて驚きました。私は、以前の福井の教会のある礼拝後、「毎週土日に、19才のモハメドという青年のホームステイをさせてくれる人はいませんか」と呼びかけたことがありました。彼だったのです。盲学校の高等部に入るイスラム教徒のお世話をする人を募りましたら、役員のKさんご夫妻が、「じゃあ、私たちがお世話しましょう」と手を挙げてくれたのです。70前後の老夫婦で今85才です。3年間お世話してくれました。色々な思い出がありますが、モハメド君と一緒にKさん宅で豪華な食事を頂いた懐かしい思い出もあります。3年間、Kさん夫妻は私から大変な使命を託されて大変だったでしょうが、愚痴を聞いたことがありませんでした。

  そもそも彼が全盲者で、日本語もできないのに日本に来れたのは、Tさんという名古屋のあるキリスト者との出会いがあったからでした。Tさんは数人の友達の助けを得て、奔走して、モハメド君の福井県立盲学校留学の道を拓いたのです。なぜ友達の助けを得たかというと、Tさんご自身が全盲だったからです。最初から全盲ではありません。この方は名古屋大学教授でしたが、スーダンに学術調査に行った時にマラリヤにかかり、視力を全く失ったのです。

  視力を失った時に、Tさんはモハメド君に出会い、彼の留学の道を拓いていくのです。

  新聞にはいささかも書かれていないのが不思議でしたが、モハメド君が今、東京外語大の先生になった背後に、こうした隠れたキリスト者の働きがありました。イスラム教徒ですが、背後の隠れたところで献身的なキリスト教徒たちの働きがあったのです。彼らは地に落ちて死んだ「一粒の麦」のような人たちでした。こんなことは東京で知るのは私ぐらいだと思います。

  もし名古屋のTさんがスーダン全盲にならなかったら、モハメド君は決して日本に来れなかったでしょう。東京外大の先生になることは決してなかった。

  瓢箪から駒が出ると言いますが、イエス様は時々実に不思議なことをなさるのです。弱さも厳しい試練も信じていくならお用い下さるのです。神の恵みは弱い所に完全に現れるのです。パウロは、神は、神を愛する者たちには、「万事を益となるように共に働く」と語っています。

  先ほどの大金持ちの資産家議員。彼は持つこと、獲得することに懸命でした。その結果大事なものを失いました。

  だが神を愛する者たちは、たとえ大切なものを失ったとしても、神が、「万事を益となるように共に働いてくださる」のです。私たちに必要なのは、ただ一つ、キリストがなして下さることをここにある乳飲み子のように信頼し、試練の中でも信じ抜くことです。それはやがて、「天に宝を積むことにもなる」のです。

  モハメド君の背後で、隠れて働いたこの人たちは、新聞には出ませんでしたが、新聞に出ない分、天に素晴らしい宝を多く積むことになったでしょう。それで十分なのです。

        (完)

                                             2015年1月18日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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