人と接するときの原点に


テゼに着くとまず訪れるのがカーサ。顔見知りかなと思うほどフレンドリーなスタッフが迎えてくれてホッとします。この時間は閉まっていて、「3時半」においでくださいと表示されていました。
                                              (右端クリックで拡大)
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                                                   一人のみどり子 (下)
                                                   イザヤ9章1-6節



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  そろそろ各地で「メサイア」演奏会が開かれる季節です。ヘンデルは有名な「メサイヤ」を作曲しました。キリストの誕生の預言とその成就、生涯と死と復活、そして永遠の命を歌う素晴らしいオラトリオです。長いので、全曲演奏されることはほぼありませんが、どんなに省略されてもこのイザヤ9章5節の歌は省かれません。5節は必ず歌われます。

  彼は、この5節を小気味よい出だしで始めますが、やがて印象的で大胆な素晴らしい大合唱に盛り上がっていくコーラス曲に仕上げています。彼は5節の意味をよくよく知っていたからでしょう。

  ここには50代の方が何人かおられますが、ヘンデルは52才の時、脳卒中で右半身不随になりました。無論演奏活動はできません。認知能力も落ち、人生最大の危機を迎えて誰もが再起不能と思いました。彼はリュウマチを持ち、神経衰弱ノイローゼでもあったようですが、その上にこの脳卒中です。だが彼は不屈の闘志で病気とその後遺症と闘ったのです。

  彼はドイツに帰り、父祖の地ドイツのアーヘンに行って徹底して温泉治療に励みます。大変な意志力でリハビリにあたり、半年後、奇跡的に回復してオルガン演奏ができるまでになります。再起できたのです。ところがその後、演奏旅行がうまくいかず、坂を転げ落ちるように落ちぶれて多額の借金を抱えて借金取りに追い回される日々になったようです。

  ある夜、借金取りから逃れてロンドンの街をさまよい、疲れて帰ると一通の手紙が来ていました。開封すると聖書の言葉が並べられた私信で作曲依頼のようです。絶望の彼は腹たち紛れに破り捨てます。その夜は眠れぬ夜を過ごして苦しんでいましたが、ふと破り捨てた紙切れを拾い上げると、そこに「慰めあれ」とあったのです。思わず飛び起きてもう一度見ますと、汝に「慰めあれ」と語る神の言葉が目の前にあったのです。

  彼は絶望のどん底にありましたが、与えられた命を感謝して今授けられた神の慰めを「心から喜ぶ」ことだと悟ったのです。この思いが、有名なハレルヤ・コーラスの大合唱となって全身を満たすのです。人生の闇の中にあり、死の陰の地に置かれていましたが、ここに大きな希望の光を得た彼は、僅か3週間で「メサイア」を書き上げるのです。彼の救いの経験、神との出会いの喜びが随所に溢れています。前の教会ではほぼ15回「メサイア」演奏会をいたしました。250人程が毎年聞きに来て、新聞に取り上げられたりニュースになったりしました。私はこれまで20回以上演奏会で聞きましたが、この時の彼の喜びの経験が随所から伝わってきます。

  初演は地方の1病院の慈善演奏会でした。彼は数々の試練とハンデを持っていましたが、この作曲によって、これまで彼自身が超えることができなかった独唱者とコーラスのバランスを絶妙に取るようになり、素晴らしい名曲が生まれたと言われています。

  50代の後半になって新しい境地を拓いたのです。新しい境地といってもその大小は色々があるでしょうが、何才になっても、キリストの希望が与えられて神のお許しがあるなら、また時が熟せば、どの人にも新しい境地は拓かれるでしょう。「求めよ、さらば与えられん。」求めることなしには与えられませんが、求める者には必ず与えられるでしょう。

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  最初に、大きな光の下で歩む無数の人々の行列の話を致しました。その時、イラストに描かれた無数の人たちは、「イスラエルの民とも世界の民とも考えられる」と申しました。

  イザヤは無論、イスラエルの民を考えています。だが旧約の預言者が預言したものとは一次元深まった所で考えると、この無数の人たちは世界の民、人類です。メシアは一民族のためでなく、全人類共同体のために来られたのです。狭い民族主義国家主義が廃棄され、広く全人類に対する救い主としてイエスは来られたのです。それが新約聖書の告げることであり、今日、アドベント第1週に、光を1つ灯して私たちが待っている主なる方です。

  これは世界人類全体に語られたことです。だが、それと共に主は私たち1人1人に向かって、「子どもたちよ、大きな光があなたの上に輝いたのです。闇の中にいないで、さあ、光の下に帰って来なさい」と呼びかけておられるのです。なぜそんな所で一人、道に迷い、悩んでいるのですか。あなたを苦しめる軛(くびき)は折られた。棍棒もムチも火にくべられた。我(が)を張らないで、神の前に素直になって帰っていらっしゃい。素直になれば必ず平安が来ます。平和が訪れます。喜びが付いてきます。考えも健やかになります。あなたは神に愛されているのです。

  「あなたは私の愛する子。私の心にかなう者。」イエスが洗礼をお受けになって水から上がった時、天が開けてこの声が天からするのを聞かれたと書かれています。これがイエスの信仰の原点です。

  私たちは誰しも、自分の原点を大切にします。それは自分自身の原点ですが、他の人と接する場合の原点にもなります。神の独りのみどり子として来られたイエスは、ご自分がお聞きになった信仰の原点であるこの言葉をもって、ゲラサの狂人とも接して「あなたは私の愛する子だ」と語って癒し、長血の女にも、忌み嫌われた収税人にも、「あなたは私の愛する子。私の心にかなう者です」と語って、暗闇の中から救い出していかれました。彼らを愛する子として、心からアガペーの愛を持って愛して行かれたのです。

  「あなたは私の愛する子。私の心にかなう者。」あなたは滅んではならない。滅んでいい筈がない。あなたはどんな深刻な暗闇にいても、どんな恐ろしい死の陰の地に居るにしても、私はあなたを愛し、私の愛する子としてあなたの前途に希望の光を照らします。私は君の弁護者です。どんな時にも君に味方します。思い煩うな。たじろぐな。勇気を持ち、信じて進みなさい。さあ、立ち上がって行くのです。あなたは、いかなる時も私の愛する子なのです。イエス・キリストは、私たちにこう語られるのです。

         (完)

                                             2014年11月30日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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