兵士の靴や軍服が焼き尽くされた


                          庭から見えるテゼ村の教会
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                                                   一人のみどり子 (中)
                                                   イザヤ9章1-6節



                              (2)
  その大いなる光がどういうものか、またどれ程のものか、色々な比喩を交えて2節以下で語られます。

  「あなたは深い喜びと、大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように、折ってくださった。 地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」

  いずれも古代の情景で、地域も時代も大きく異なる今の日本では充分その意味を想像することはできません。ただ今の日本では、刈り入れの喜びは、今は農業が廃れそれと無関係になりましたが神社の秋祭りに残っています。しかし五穀豊穣の喜びでなくて商店街の呼び込み行事か、子どもの行事みたいになっていますが。

  「戦利品を分け合って楽しむ」とは、酷いと思うかもしれませんが、これが戦争の現実ですよ。私たちが満州で、中国で、アジアで行なった侵略戦争で、大戦争になる前に利権という戦利品をとって喜びました。15年戦争に突入すると相手の武器を奪うだけでなく、村を襲って農家から鶏をかっぱらい、コメや塩や味噌など調達して、戦利品を分け合って喜ぶ場面が戦場で無数にありました。それに、何人も人を殺して万歳を叫んで提灯行列もして来たのが私たちです。

  次の軛(くびき)、杖、鞭(むち)は比喩でなく現実の光景です。イスラエルの民が背負わされた重圧であり、重い重い軛です。そして働け、働けと背中をぶん殴られていた杖、いや棍棒でしょう。それに使役する者たちの容赦なく浴びせる残虐な鞭です。それらを「折ってくださった」。即ち、苛酷な外国の圧政から救い出して下さったと語るのです。

  完了形で書かれているのは、これらは必ず将来起こることだという考えだからです。

  兵士の靴や軍服も実際の侵略軍のものです。地を踏み鳴らす兵士の靴とは、歩兵たちが足並み揃え、石畳を踏み鳴らし進軍してくる恐怖の靴音です。古代もまた軍靴の靴底は摩滅を避けるため鉄の鋲が打ってあったのでしょう。

  血にまみれた軍服。その血はイスラエルの民衆が殺される度に飛び散った血痕です。殺戮に次ぐ殺戮によって、返り血を浴びて侵略者の軍服に付いた血です。

  だがそれらがことごとく「火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」これも将来起こる預言ですから、本来なら「火に投げ込まれ、焼き尽くされるだろう」と書くべきですが、将来確実に起こると、まるで起こってしまったかのごとく完了形で語るのです。

  いずれにせよ、今や新しい時代が訪れ、軍服も軍靴もすっかり絶たれる。それは大いなる光が照る時代であり、爆発するような喜びの時代の登場だと、イザヤは色々と言葉を尽くして預言するのです。

                              (3)
  そして5節は、「一人のみどり子がわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」と、いよいよ歴史の中に一人の人格が登場し、それと共に新しい時代が世界に始まると預言します。

  みどりは春の訪れです。希望の到来です。この希望のみどり子は、「私たちのために生まれた」のです。私たちに、神がお与えくださったのです。ここも将来起こることですが、同じ理由で完了形で言われます。

  このみどり子に、「権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」

  幼いみどり子ですが威風堂々とした人物です。「驚くべき指導者」とあるのは、前の口語訳では「霊妙な議士」となっていました。妙齢なら分かりますね。だが「霊妙」という日本語は分かりにくい。議士は代議士を思い浮かべてしまいます。英語では、どれもほぼワンダフル・カウンセラーです。素晴らしい助言者、弁護者、私たちを弁護する人です。

  みどり子は、民衆の素晴らしい弁護者として、「力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられるようになり、まことの権威と正義と恵みの業を持って支配すると預言されるのです。むろん、みどり子はイエス・キリストです。

  しかし預言者イザヤが2700年前に預言したこのメシアは、明らかに権威を持つ社会的・政治的メシアです。彼の時代に待ち望まれたのは、正義と公平によって治める政治家であり、ダビデのような王です。この世的救世主です。

  しかしイザヤも人間であり預言者も人間です。彼の預言は、幼子としてベツレヘムに生まれたイエスにおいて成就しますが、イエス・キリストは社会的・政治的・この世的メシアであることを超えて、全ての人を罪と絶望の暗闇の中から救い出す霊的なメシアとして来られたのです。

  今日の箇所はイエス誕生の預言です。最初に申し上げたように、ここにイエスの胎動が聞こえます。だがやがて生まれ来たるイエス・キリストは、イザヤの預言を遥かに超える人格です。


         (つづく)

                                             2014年11月30日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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