先端技術への警告


                         甦ったクリューニーの大鐘楼             (右端クリックで拡大)
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                                                    愚かさに生きよう (上)
                                                    Ⅰコリント1章18-31節


                              (1)
  「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」とあります。十字架の言葉とはイエスの福音であり、十字架の事件が告げるメッセージです。それは、イエスの助けなど不必要だ、自分の力で自分を救えると考える人にとっては愚かであり、ナンセンスであると言うのです。

  確かにそうでしょう。イエスの十字架の救いなど信じない不要だという人には馬鹿げています。死は一巻の終わりであり敗北です。そんな十字架を信じて何になるか。愚かとしか言えません。それは敗北だけではなく、嘲られて捨てられる、無残な失敗者の象徴です。

  ところが、「わたしたち救われる者には神の力です」とあるように、救われる者には、それは神の力となり、実際的に尽きない命の力が湧き出て来ます。力とある言葉はギリシャ語でデュナミスと言います。これはダイナマイトの語源になりました。当時はむろんダイナマイトなどございませんが、山をも吹き飛ばす程の偉大な力という意味です。その力はやがて、墓をも打ち破るキリストの復活となって現れました。

  そして私たち救いに与る者にとっては、イエスの十字架は、私たちを罪の世から救い出して下さる神の恵みの力の象徴です。そこに希望の光が輝いているからです。

  パウロという人は、どんなことがあってもこの十字架の出来事から離れない人でした。十字架を、多くの人に受け入れやすいように他の言葉で置き換えたり、意味を薄めたりしない人でした。もしこの事件を哲学的な、思弁的な言葉に置き換えれば、キリストが十字架上で血を流された鋭い意味が鈍ってしまうからです。ですから、直前の17節にあるように、「キリストの十字架が虚しくなってしまわないために」、知恵の言葉や言葉の知恵によって言い変えることをしなかったのです。あくまでも十字架の事件が語ることを水増しせず、その出来事に即して語り、考えたのです。

  しかし、当時の社会で十字架を語ることはユダヤ人には躓きでした。十字架に付けられる者は、「神に呪われた者」だという理解があったからです。またギリシャ人や異邦人にとっては、愚かとしか言えないものでした。

  パウロはそのことが分かっています。分かりながら迎合しなかった。迎合しないだけでなく、19節で、「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」と神は語っておられると言うのです。

  これはイザヤ書29章の引用ですが、知恵ある者や賢い者、すなわち人間的知性の代表者たちは、その知性に酔いしれて知恵の限界に根本的に気づかない。だが、やがて人の知恵は滅ぼされ、意味のないものとされると語るのです。

  これとはやや意味が違いますが、私は外国の自動車メーカーのことは余り存じ上げませんが、アメリカの電気自動車メーカーでテスラという会社があります。その最高経営責任者で社長であるエロン・ムスクという人が、マサチュセッツ工科大学の学生たちに講演した内容が外国の新聞に載りました。彼はまだ40才前後ですが、国際宇宙ステーション事業でも成功を収め、更に飛行機より速いハイパー・ループという乗り物を作ろうと会社を設立しています。

  このエロン・ムスクさんが学生たちに語ったのは、ロボットなどの人口頭脳の開発は極めて注意深くあらねばならない。Super carefulにと語っていました。これは人類に対し最も巨大な脅威になるだろう。もしかすると、人工頭脳は悪魔を呼び寄せることになると警告したのです。核兵器以上に人類に脅威を与えかねないとも言っています。

  彼は学生たちの前で、事実の一面を強調したのかも知れません。しかし私は、このような地位も実力もある科学者であり起業家が、自分が寄って立っている科学技術への厳しい警告を若者にしていることに驚きを覚えました。日本でこのような視点で最先端技術への警告を発する学者や起業家はあるのでしょうか。新聞も経済一辺倒になりがちで、社会の木鐸であることを忘れて取り上げようとしません。講演後、満場立ち上がっての拍手喝采が鳴り止まなかったのです。

  いずれにせよ、この人は人間的知性の限界、それが持つ暗い闇の部分に触れて、世界の先端を行く秀才、天才たちに注意を喚起したというのは注目すべきことだと思います。これはパウロが今日の箇所で引用し、イザヤがかつて、「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」と、神が語っておられると述べたこととどこかで共通するものだと言ってよいでしょう。

       (つづく)


                                             2014年11月2日



                                             板橋大山教会 上垣 勝



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