子どもをまねくイエスさま


                     板橋大山教会にあるブラザー・エリックの版画。
                                              (右端クリックで拡大)
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                                                 子どもを招くイエスさま (下)
                                                 マタイ19章13-15節


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  この絵をご覧下さい。テゼのブラザー・エリックの版画です。この方はステンドグラス作家で素晴らしいステンドグラスを幾つも作っています。

  この版画には、一人の子供が急いで一番にイエス様の所に行ったのでしょう。でも、イエス様のところに着くと少しはにかんでしまいました。でも右手をイエス様の膝に置いていますから、イエス様が大好きな証拠です。

  イエス様は子供の頭に手を置いて、目を細め、優しい眼差しを注いでて祝福しておられます。実に平和な穏やかなひとときです。

  その様を、この子の2人のお姉ちゃんでしょう、座って肩を組んで眺めています。背中しか見えませんが、きっと顔ははにかんでいる弟を見て笑っている筈です。彼女たちもイエス様を信頼している様子が伺われます。

  「この人たちを叱った」という弟子たちの姿も描かれています。このお弟子は、真っ先にイエス様のそばに来た子を叱ったが制止できなかったのでしょう。だが、残りの子らを来させまいと右手で制止しています。こちらのお弟子はアレアレ困ったものだと呆れて眺めています。子供らを責めるような顔の者もいます。イエス様の背後に隠れるようにしている者もいます。

  そういう中で、イエスは、「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである」と言われた。イエスは平和そのものでいらっしゃる。子供の頭に手を置き、生涯、神の祝福が留まるように祈っておられます。

  母たちのそばにいる子供たちは、次々イエス様の所に行こうとしています。これはお兄ちゃんと弟でしょうか。赤ちゃんもいる。何かを手に持って、イエス様に届けようとする女の子もいます。中には母親の手の中で嫌がる子もいます。それが子供の現実です。チョッと待ってね、順番だからねと子供を止めているお母さんもあります。赤ちゃんをおんぶしているお母さんは前に走っていった子供のお母さんでしょうか。赤ちゃんをおんぶしています。

  お母さんたちの表情は少しずつ違います。よく見ると、子供も大人もお弟子たちも皆それぞれ違う表情をしています。それが何とも言えない豊かな暖かい情景を生み出しています。絵は直線のような線で描かれているのに、雰囲気全体がいかにも丸みを帯び、柔らかく温かい雰囲気を醸し出している絵です。

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  イエスは、「天の国はこのような者たちのものである」と言われました。どういう意味でしょうか。英語訳には、「神の国が属するのはこの様な者たちである」というのがありました。またもっと直截に、「神の国は彼らに属している」としているのもありました。大胆な訳です。神の国は大人でなく、子供たちに、子供たちのようなものに属していると。これがイエスの発言の趣旨だというのです。

  ①子供は何かのきっかけがあれば、疑わず信頼します。テゼで、オーストラリアから来たご夫婦に会いました。5才の男の子を連れて来ていて、ちょっと遊んであげたらずっと懐いて来てびっくりしました。子供たちは周りの者を信頼することなしに、生きることはできません。彼らは努力して信頼するのでなく、信頼は彼らの本質そのものです。ですから、「知らない人は信用してはいけませんよ」、なんて言うのは本当はいけないのです。やむを得ないので言っていますが、本当はダメですね。

  ②子供の心はオープンなので信頼します。閉じていない。心を閉ざした子供は、子供らしくない。大人も心を閉ざすと人間らしさが薄れます。子供は「なぜ」「どうして」とよく質問します。知らないことを率直に聞く。これも心がオープンな証拠です。

  ③神と出会うために人間が持っている最良のものは、子どもの心。無邪気に尋ねる子どもの心です。疑わず、神を信頼して生きる心です。疑わず、神への信頼をもって生きていくと、やがて色々なことが分かってまいります。子供のような信頼。

  バザーを10年して来て、やっと私が何も言わなくても皆さんが率先して動いて、しかもその動きが敏捷になって来ました。行列のできる露店のヤシの親方のようになって来ましたね。Aさんは、開店を待って何十人も並んでいるのを見てびっくりしていました。皆さんがこんなに生き生き率先して動かれる日が来るとは思いませんでした。神を信頼する中で、神が私たちに色んな真理をお教え下さるのです。

  ④子供は、発達の過程にあります。伸び盛りです。子供は、何年か会わぬ間に見違える程背が高い青年になっています。お転婆だった子が、しとやかな愛らしい娘さんになっています。驚きです。

  子供は未完です。まだ完成していません。子供も、自分は完成だ、絶対だと思っていません。むしろ彼らは低さを持っています。自分を低いと思っています。子供はまた意外性を持っている。将来どんな人間になるか分からりません。予測できない。自分自身でもです。

  「天の国はこのような者たちのものである」とは、天の国、神の国は成長の過程にあり、完成を目指して生きている者たちのものということでもあるしょう。子供は未完の美しさを持っていますが、未来を望み見て未完の美しさを持って前進している者たちのものだというのでしょう。そして、神の国も予測できない。誰も神の国はこうだ、ああだとは言えない。そういう意外性を持った、喜びに満ちた世界であるということでしょう。

  ⑤更に、子供はしたいことをしたい時にします。場所も時もわきまえません。そのように、神の国も場所や時をわきまえずに突然来るだろう。弟子たちは、子供に来てもらいたくなかった。だが、神の国は、来て欲しくない時に突如来るであろう。人間の科学的知見や想像を超えて必ず神の国は来るのです。

        (完)

                                              2014年10月19日

                                              板橋大山教会 上垣 勝



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