ロトの妻を想う


TGVでMACON-ROCHE駅で降り、バスでテゼに向かいましたが、途中クリューニで下車して久しぶりに町を散策。8年前より随分アカ抜けした感じでした。馴染みのパティスリでチョコレートの逸品、”天使の涙”を求めたら今はないとのこと。残念。それに可愛い3人の売り子さんもいなくなっていてこの方がもっと残念でした。
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                                                     ロトの妻を想う (中)
                                                     ルカ17章22-37節
        

                              (2)
  26節以下では再び、人の子の日、再臨は突如来ると語られます。私たちの信仰は再臨を待ち望む信仰です。「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていたが、洪水が襲って来て、一人残らず滅ぼしてしまった。ロトの時代にも同じようなことが起こった。人々は食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたりしていたが、ロトがソドムから出て行ったその日に、火と硫黄が天から降ってきて、一人残らず滅ぼしてしまった。人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。」

  人の子は思いがけない日に突如来られるのです。ノアの時代に、またロトの時代にあったように、人々が飲んだり食べたり、売ったり買ったり、娶ったり嫁いだり、この世を謳歌して日常の普通の生活をしている時に突如裁きが起こったが、人の子が来られる時にも同じだと言われるのです。

  ノアは、神の言葉に従って山の上に黙々とおろかにも箱舟を作りました。人々に気が狂ったんじゃあないかと嘲られ、罵られ、悪口を浴びせられながら、神が命じられたいいつけを守って、黙々と箱舟を作りました。そして神の言葉通り雨が降り出すと家族や動物などを箱舟に入れ、入り終わると、ノアの背後で神が戸を閉められたと言うのです。

  教会形成は、まさにノアの箱舟を作るに似ています。毎週教会に集まり、礼拝を休まず行なっている。たまの日曜日は体をゆっくり休ませればいいのに、朝早くから教会に行く。愚かに見えます。信仰というのはこの世から見れば基本的に愚かな行為で、これはノアの箱舟を作っているようなものです。世の人にとっては、何の利益にもならないノー天気な行為です。バザーのような労働の対価としては実に低い収益で地域の人達に奉仕をしている。これが地の塩、世の光になるのか甚だ疑わしい。子供たちが教会学校に来てくれれば、よく来たねと大喜びし、来てくれないと心配し、遅刻しても叱るでも咎めるでもなく、忍耐強く待っている。こんな学校があるでしょうか。効率的でなく愚かさに満ちています。

  これらは皆、言わばノアの箱舟を作るためです。箱舟に全ての生き物、「清い生き物も清くない生き物も」すべて入れるためです。これは実に暗示的です。清いものだけでなく、清くないものも入れられるのです。そして入り終わると、神がノアの背後で戸を閉じられる。戸を閉じて、その他を残らず滅ぼされると書かれています。業績や能力、優秀さは関係ありません。

  ロトの場合もほぼ同じです。ソドムの町に悪が満ちたので滅ぼす、彼と彼の家族は、「命懸けで逃げ。後ろを振り返ってはならない」と言われて、直ぐ逃げます。近くの町に着くと、「主はソドムとゴモラに硫黄の火を降らせ」、残らず滅ぼされた。その時、「ロトの妻は、後ろを振り向いたので、塩の柱になった」と書かれています。

  「屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」ロトの妻は、家や家財はどうなったかと欲に駆られて後ろを振り返ったのです。振り返るまいと思いながら、誘惑に打ち勝てず、ちょっと振り返った。ほんの僅かでしょう。だがたちまち塩の柱になった。現在も死海の畔にロトの妻の塩の柱と言われる岩塩の柱が建っています。自分に執着するな、自分を救おうとするな、執着しない者が命を得る。持ち物からも自由であれということで、ロトの妻は私たちへの戒めです。

  言葉を変えて言えば、キリストに導かれて、断固として前へ進め、後退するな。後ろを振り返らず、主の恵みに信頼して前に進めということでしょう。

  また、「その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。2人の女が一緒に臼を引いていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される」とは、人生には、生死を分ける瞬間があるということです。御嶽山の噴火の中で、自分は屋根の庇(ひさし)の下で助かったが、目のすぐ前で噴石に当たって倒れる人がいた。倒れて火山灰に埋もれてしまった人があったと言う人がいました。助けることができず置いて来たという人もありました。金属の容器に噴石が当たって命拾いしたという人もありました。自分で生死を選べない。命の個別性には厳しさがあります。


       (つづく)

                                              2014年10月12日


                                              板橋大山教会 上垣 勝



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