毒を吐く人、毒を抜く人


パリのリヨン駅から弾丸列車TGVで小1時間。ブルゴーニュ地方の風景。村の中にロマネスク風の古い教会が見え消えて行きました。                                       (右端クリックで拡大)
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                                                     ロトの妻を想う (上)
                                                     ルカ17章22-37節
        

                               (序)
  ここには謎のような言葉が幾つかあります。特に最後の、「死体のある所には、はげ鷹も集まるものだ」という諺めいた言葉は何なのか。新約中最も深い謎の一つで、その意味は中々窺い知れません。その前の、その日、人の子が、「稲妻のように現れる」とはどういうことか。また、「 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている」とあるのも、どういう意味で言われているのか分かりにくいと思います。

                               (1)
  ここは先週と同じ段落ですが、22節に「イエスは弟子たちに言われた」とあるように、今日の箇所はファリサイ人との論争でなく、弟子たちに言われた言葉です。

  イエスはそこで弟子たちに、『あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう』」と言われたのです。

  「人の子」とは、イエス・キリストを指します。やがてイエスは十字架で殺され、その時には、「一日だけでも見たい」、一日だけでもお会いしたいと切に望む時が来るだろう。だが見ることはできないとおっしゃるのです。愛する人ともう一度お会いしたい、もう一度だけでも声を聞きたいという願いは、御嶽山の噴火など災害で突如命を落とした家族は特に思うでしょう。イエスに対しても弟子たちは、「一日だけでも見たい」と願うだろうというのです。ここにはイエスの死の予告も含まれています。

  次の23節は、「『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。 稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである。」

  これは世の終りのキリストの再臨のことです。キリストがやがて再び来られる。その日のことです。だが、「見よ、あそこにキリストが再臨している」、「見よ、ここに再臨のキリストがいる」と聞いても、出て行くなと言われたのです。キリストの再臨が起こった。キリストが再び来られた。今日起こった、明日来られる。あるいは、何年何月何日に来られると誰かが言って走って行ったり、追いかけて行くな。慌てるな。偽りの終末情報に惑わされるな。落ち着いて、静かにして生活していなさいということでしょう。

  それと共に、人の子は稲妻のように突如現れる。地震津波のように、火山の噴火のように予知なく突如来られるということも強調されています。ところがイエスは、弟子たちと私たちに、このように再臨のことを語りながら、しかし今は、まず目を向けるべきものがあると注意を喚起されたのです。それが25節の、「 しかし、人の子はまず必ず、多くの苦しみを受け、今の時代の者たちから排斥されることになっている」という言葉です。

ここの原文は、「しかし何よりも先ず、必ず…」と、人の子キリストの受難、十字架、死が極めて強く強調されています。これは神の必然として必ず起こる。このことは起こらなければならない。このことに先ず心向けるべきであると言われるのです。

  すなわち、キリストの十字架なしには再臨にも世の終りにも意味はないのです。キリストの十字架の恵み、憐れみがあるゆえに世の終わりが恵みとして、人々に勇気を与える希望の日として現れるのです。だが、もし人の子の受難、十字架がなければ、世の終りは恐ろしいだけの世界の終末、カタストロフが襲う恐るべき裁きの日、最後の審判の恐怖の日として人類に襲いかかるであろう。だが、キリストは世界の苦難をご自分の身に負うことによって、そうならないようにされたのです。恵みの時とされたのです。

  イエスは、人間嫌いから自分の腹に貯めた毒気を吐き出されるのではありません。人間ならそういうこともあるかも知れません。確かにそんな人がいますね。周りにやたらと毒素を吐き出している。だが彼はそうでなく、十字架に掛かって呪われることによって私たちの罪の毒を抜いて下さるのです。そのことを弟子たちに語ろうとして25節を語られた。25節は今日の箇所で最も重要な言葉です。これは、後でもう一度触れます。

       (つづく)

                                              2014年10月12日


                                              板橋大山教会 上垣 勝



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