パレスチナの石ころ道を走りに走った


朝目覚めるとミンミンゼミはお部屋の中で飛び回っていました。それで網で取り、近くの桜に逃がすと喜んで飛んで行きました。
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                                               神を賛美したサマリア人 (中ーA)
                                                 
                                               ルカ17章11-19節


                              (2)
  さて、10人はイエスに会いに来たのですが、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、『イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください』と言った」のです。

  ユダヤ社会では、彼らは律法によって健康な人との交流が厳禁されていました。万一公衆の場に出る時は、「私は汚れた者だ」と大声で触れ回らなければなりません。むろん、これは屈辱的なことです。人の人格や魂の尊厳などどこにもありません。

  ここでは、遠くの方に立ち止まって、声を張り上げて憐れみを乞うた彼らを、イエスはご覧になり、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われました。すると、「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」というのです。

  他の箇所では、イエス様はハンセン病の人に手を置いたり、抱きしめたり、癒しの言葉を語ったりして治しておられます。しかし、ここでは彼らは近寄ろうとしませんから、一度も触れたり、抱きしめたり、癒しの言葉をかけておられません。それにも拘らず、彼らは祭司たちの所に行けと言われて行くと、「行く途中で清くされた」のです。これには驚いてしまいます。

  その意味は、イエスにとっては物理的な距離や、触れるか触れないか、イエスの存在に気づくか気づかないかに拘らず、イエス様の意志が重要だと告げているのでしょう。イエスの意志があれば、場所や時間を超えて癒されるからです。

  もう1つ注意したいのは、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われたことです。当時のユダヤ社会の規則に従われたのです。イエスはむやみに法を破られませんでした。一方的な反抗的な人物ではなかったということです。無論、体制擁護的でも体制順応的でもありませんが、社会への感情的な反逆者ではなかったということです。

  祭司に見せるように言われたのは、非常に賢明なことで、彼らが確実に社会に迎えられ、社会復帰できるためです。社会復帰できないままでは、この先どう生活出来るでしょう。人との交わりの回復に向けて、祭司の所に送られたのです。ここにイエスの深い愛を感じます。

  すると、行く途中で癒されたのです。そして、「その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」のです。

  毒性が強く、伝染性が高い重大な皮膚病が癒されたのを、何で知ったのでしょう。痛みが取れたことでか、痒みがなくなったことでか、普通の肌の感覚が戻って来たからか。何かを肌で感じたのでしょう。さぞ、驚きを覚えたでしょう。水虫でも、湿疹でもいい。慢性の皮膚病が急に治れば、どんな人も賛嘆の声を上げるでしょう。「大声で神を賛美しながら戻って来た」とあるのは、オーバーな表現ではありません。感激家でなくても喜びは爆発し、実に嬉しかったし、冷めてはおれなかったのです。

  これまで、徐々に癩(らい)菌に蝕まれ、手足が変形したり、感覚がなくなったり、目が潰れたりしていった仲間を見て来ています。また自分や仲間が、親兄弟や親類縁者からもどんなに排斥され、劣悪な環境に追いやられ、悲惨な、貧しい生活を強いられたかを思えば、今こうして癒されたのですから、喜びにあふれ、大声で神を賛美しながら、全身に感謝を表してイエス様のところに戻ることは彼がなしうる最大のお礼だったでしょう。彼が今来た道を取って返し、パレスチナの石ころの多い道を、イエス様の所に走りに走って戻って行った姿が、目の前に浮かぶ気がします。

  「自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。」

  「足元にひれ伏す」とは、原語では、イエスの足元に身を投げ出し、足に顔をこすりつけたということです。ぶざまな格好で感謝した。

  何と言って感謝すればいいのか。言葉にならなかったでしょう。だが、言葉にならなくても感謝する事が大事です。決して「有り難い」ことが起こったのです。「有り難い」のです。有難う、です。彼は、イエスを通して主の愛を知り、主を信じる信仰を持つに至ったのです。その感謝は生涯、魂から離れなかったでしょう。

  イエスも彼が治ったのを大変喜ばれました。それで最後に、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と語って送り出されたのです。

          (つづく)

                                       2014年8月31日


                                       板橋大山教会 上垣 勝



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