塩みずは甘いみずにならない話


     草刈り機で刈り取られた野原以外は、山の斜面がすべて無数の野の花に覆われ、思わず絶句しました。
                                              (右端クリックで拡大)
                               ・



                                                   平和のうちに平和を蒔く (中)
                                                   ヤコブ3章18節


                              (2)
  「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれる。」これは永遠に真理です。これは単純に、「平和は、平和を希求する人たちによって、平和のうちに蒔かれる」と言い換えていいでしょう。

  直前の17節は、「上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません」とあります。上からの知恵とは、神の知恵であり、神に基づく真の知恵のことです。

  その知恵は、何よりも純真、温和、優しさ、従順だというのです。純真とは、神の知恵は何よりも清いということです。ごまかしがなく、二枚舌を使わない。心から信頼できるものであるという事です。夫婦でも家族でも、信頼できることが一番の宝です。夫の、妻の語ることが信用できないとなると、その家庭の中身は数10%崩壊しています。100%でなく、50%を超えれば崩壊します。

  温和とは、日本語訳と違いますが、元々は平和を愛することです。性格の温厚さだけを指しません。日本国憲法にあるような、平和を希求することです。神に基づく真の知恵は、温和でもありますが、平和を積極的に愛することです。

  次の優しくとは、むろん優しいことであり、思いやりがあることです。従順は、上に立つ権威への従順と解釈すると一面的です。この言葉は、「理性的である」ことを指します。神の真の知恵は、感情的なものや感情を煽るものでなく、冷静で、理性的なのです。

  これらの他に、「憐れみと良い実に満ち…偏見はなく、偽善的でもありません」と語ります。

  偏見を持たない。これは日常的に色んな場面で大切です。先入観があると、相手と自然な対話ができません。折角素晴らしい人との出会いが待っていても、そのチャンスを失うでしょう。

  神の真の知恵は、誤魔化したり、隠したり、偏見や憎悪を煽ったりするものでなく、偽善的でもないと断言しています。

  更にその前の11節以下では、当然のことですが、塩水が甘い水になる筈がないとか、いちじくからオリーブの実がなるとか、ぶどうからいちじくがなるとかいうことはないなどと語っているのと通じています。どんなに平和を見せかけ表面を装っても、偽善であれば、やがて馬脚を表さざるを得ないでしょう。

                               (3)
  数年前に亡くなられた、私たちの信仰の先輩と言ってもいい方のことを思い出します。沼田鈴子さんという広島の女性です。

        (つづく)


                                       2014年8月3日



                                       板橋大山教会 上垣 勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif



                               ・