教会が持っている遺産


                        野の花で覆われた山のお花畑         (右端クリックで拡大)
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                                                   平和のうちに平和を蒔く (上)
                                                   ヤコブ3章18節


                              (序)
  ヤコブの手紙は、宗教改革者ルターから藁の書簡と呼ばれて、その価値を貶(おとし)められて来ました。信仰にとって重要でない書簡という訳です。この手紙は聖書の中の位置にしましても、終わりの方に置かれ、後は少しの手紙と黙示録があるだけで、いわば聖書の隅っこにある手紙です。しかも今日は、その僅か1節から福音を聴こうとしています。

  しかしこの書簡にも、神の言葉である福音が豊かに鳴り響いていますし、現代人も心して聞くべきメッセージが溢れています。

  ここを読んで、先ず私はこう思いました。ご自分を社会の中で端っこにいる、隅の方にいるつまらない人間だと卑下しておられる方がおられるなら、いや、端っこにもキリストの福音はふんだんに届いているし、キリストの恵みの手が届かない所は決してないということです。隅っこからも、価値あるものを発信することができる。諦めてはならないという事です。ということで、今日は聖書の端っこから神様の言葉を聞いていきましょう。

                              (1)
  3章18節は、「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです」と告げていました。ある英訳聖書は、「真の正義は、平和を作るピースメーカーたちが、平和の精神をもって蒔く種によって、実を結んでいく」と訳しています。

  真の正義は、対立的に物事を考え、ことによったら戦争も辞さないという喧嘩腰の態度によって物事を解決するのでなく、平和を実現しようと努める人たちが、平和の精神を持って、平和的に、平和の種を蒔くことによって、実を結んでいくと語っているのです。「平和のうちに」とは、平和的な姿勢、平和的な心を指しています。

  私たちの日本基督教団は8月第1週を「平和聖日」として、1960年代から半世紀に亘って、日本の平和、世界平和のために祈って来たのです。

  また1967年イースターには、「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」、いわゆる「戦争責任告白」を公にしました。そこで、あの戦時下に、「教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明」した責任を痛感しつつ、「罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う」と罪責の告白をしたのです。戦責告白によって、初めて東アジアの諸教会と教団との交わりが可能になりました。以来、大山教会はこの戦責告白を毎月唱えて来ました。私はこれを大変大事なことであったと思っています。

  ただ、時代が移って、2千年前後の一時期、「わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。…」という下りが、時代とズレているように感じられ、違和感を抱くことがありました。日本が、「ふたたび憂慮すべき方向にむかっている」と思えなくなり始めていたのです。

  ところが近年、再び告白文の正しさが急に明らかになって、この下りを読む度に、「ふたたび憂慮すべき方向に」、これ以上進まないように切に願うようになりました。

  8月第1週を「平和聖日」としたのは、この月に2度に渡って広島、長崎に原爆が投下され、即死した人やその年の終わりまでに約30万人の方が続々と亡くなり、それに倍する人たちが長く原爆病で苦しみ、亡くなることになり、また8月15日の敗戦を経験したからで、日本人として、平和を願わずにおれない月となったからです。

  日本人の死者は約300万人です。半数の150万人ほどは軍人、半数は民間人です。驚くべき人数です。しかし中国人は2000万人近くがほぼ日本軍によって殺されました。日本人の6、7倍が、日本軍によって虐殺されたのです。しかも民間人が約8割です。このことを決して忘れてはなりません。

  その他、朝鮮人、台湾人、フィリピン人、ベトナム人インドネシア人など1000万人ほどが虐殺されました。今では日本人の自覚が少ないかも知れませんが、インドネシア人は400万人、ベトナム人は200万人が殺されています。これを何とお詫びすればいいのか、言葉を失います。

  8月15日は日本では終戦記念日です。だが、お隣の韓国では「光復節」と言います。光が再び帰って来たという意味で、日本軍の暗黒の支配からの「解放を祝う日」です。韓国だけでなく、中国、フィリピン、インドネシアベトナムなども8月15日は、喜びの日です。

  私がこの教会に参りました10年前は、その後召された方々や、ご高齢で今教会に来れなくなられた方々もお元気でしたが、これらの方々は異口同音に、「戦争は嫌だ。二度と絶対にしてはいけない」と強く語っておられました。

  私たちの教会は、「戦争は嫌だ。二度と絶対にしてはいけない。」これは大山教会の引き継ぐべき大事な遺産だと思います。日本人が引き継ぐべき大事な遺産でもあると思います。聖書は、「平和を求めて、これを追え」と語り、「平和を実現する人たちは、幸いだ」と、主イエスは語られました。「戦争は嫌だ。二度と絶対にしてはいけない。」これはキリストの教えに合致すると思います。

  今年に入り、国民大半の反対にも拘らず憲法9条解釈改憲というのが閣議決定されて、集団的自衛権すら可能にしようとしています。私はよく分かりませんが、今、軍需産業の株価が急上昇しているようです。武器輸出3原則も外し、武器輸出で儲けようということです。一体これがサタンの誘惑でないかどうか、慎重に考えなければなりません。

  そうした中で、「義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。」「真の正義は、平和を作るピースメーカーたちが、平和の精神をもって蒔く種によって、実を結んでいく」と語っているのです。

          (つづく)


                                       2014年8月3日



                                       板橋大山教会 上垣 勝



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