人を健やかにするイエスの福音


                  2,300mのグリュン・ゼーからのマッターホルン。 (右端クリックで拡大)
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                                                  イエスの権威とは (下)
                                                  マルコ1章21-28節


                              (4)
  最後にイエス安息日に、シナゴグでなさった意味をもう一度考えましょう。イエス安息日に癒しをなさらなくてもよかったのではないでしょうか。ユダヤ教安息日は土曜日ですが、安息日を避けて、平日に来なさい言って、帰されることもできたでしょう。だがイエスはこの機会を逃されませんでした。これは神が設けられたご計画だ、摂理だと考え、自分の身が危なくても、あえて安息日ユダヤ人会堂で癒すという大胆な行為に出られたのです。

  これは律法学者やファリサイ人、長老や祭司長などから見れば、モーセの律法への重大な違反いや反乱であり、死罪に値するものです。

  だがイエスは、宣教の初日から、命をかけて具体的に苦しむ人を愛していかれました。それが今日の箇所の中心です。イエスの生命を賭けた愛です。これは、最初の日から神の栄光のためにご自分を献げておられたことを示しますし、全ての人たちの贖いの供え物になろうと活動しておられたことを示しています。

  むろん人間はこんな全力投球はできませんし勧められてもいません。いい気になって全力投球をしていると田中投手ではないですが、肩を壊し休場する可能性がありますが、イエスはいわば最初から全力投球で神の恵みを証しし、人を愛して行かれたのです。イエスの権威はそのような愛の中で表された権威です。

  神の愛の福音のもとで生きよ。汚れたものや悪の下で生きるな。180度生き方を変え、悪や汚れた霊、汚れたスピリットの下で生きるな。それは長く続かない。神の平和と慈愛、その愛の支配の下で生きなさい。

  それが神に造られた人間の最も健康的な生き方である。人々を健やかに、健康にするイエスの福音。そのことを告げるために、イエスはこの世に来られ、ご自分の命さえ賭けて、安息日に会堂で男を癒し、愛され、健康な道を示されたのです。


          (完)

                                       2014年7月27日



                                       板橋大山教会 上垣 勝



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