気のゆるみを狙われました


                        リヨンに一番で入ってきました
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                                                  権力と繁栄への誘い (上)
                                                  ルカ4章1-13節


                              (序)
  今日は、初めての方々もおられますが、イエスが受けられた有名な荒れ野の誘惑から御言葉を聞きたいと思います。第1は、石をパンに変えよという誘惑、第2は国々の一切の権力と繁栄を与えようという誘惑、最後は神殿の屋根から飛び降りて天使が支えてくれるか、神を試す誘惑です。

  第1は経済的誘惑、第2は政治的誘惑、最後は、第3の矢、とは書かれていません。神をも取り込んで仕えさせようというとんでもない企み。いずれも人間の欲に向けての誘惑です。

  今日は時間の関係で、第3は省いて、第1、2の誘惑についてだけお話させて頂きます。

                              (1)
  まず1節に、「さて、イエス聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった」とありました。これはイエスを知る上で大変大事な言葉です。イエスは神の子ですが、3章21節で、ヨルダン川で洗礼を受け、聖霊に満たされてガリラヤの町に帰って来られました。

  洗礼を受けて信仰に溢れて帰られましたが、ここにはそれ以上のものがあります。洗礼において、「あなたは私の愛する子、私の心にかなう者」という天からの声を聞かれたからです。そして、今、神の声を心に響かせて、神の子の迫力を備えて帰って来られたのです。「聖霊に満ちて」とは、神に由来する力に満ちてということです。ここに、イエスの生涯の画期的な一歩を踏み出されたのです。

  人生において、何のために生きるのか、生き方の中心が定まることは大切です。信仰生活においても、その中心に、神の活けるみ言葉が心に響いていることは大変大事なことです。自分の魂を深い所から支えてくれるみ言葉。いつでも、どこでも、拠り所となる聖句を心に持って生きることです。

  「パンセ」を書いたパスカルは、31才で決定的な回心を経験しました。その時から、その時与えられた言葉を、生涯肌身離さず服に縫い付けていたと言います。「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、哲学者および賢者の神にあらず、イエス・キリストの神…」という言葉です。

  歩みの原点です。イエスはその原点を与えられて、「聖霊に満ちて」お帰りになったのです。

  「そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、40日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた」とありました。このような極限の断食は、私たち人間に勧められていることではありません。また勧められてもできっこないでしょう。

  「霊」とありましたが、原文では「その霊によって」となっています。その霊とは1節から読めば分かるように、聖霊のことです。従って、聖霊によって荒れ野をあちこち引き回されたというのです。聖霊に満たされ、神の言葉を心に響かせて帰って来られたイエスが、今度は、聖霊によって「荒野を引き回された」とは、何と不思議なことでしょう。

  聖霊は、私たちに信仰の力や愛の力を与えると思っていますが、それだけでなく、荒れ野を大胆に引き回すような活動的力でもあるということで、これは、私たちをも現代社会の荒れ野を引き回すような力でもあるでしょう。しかも、イエスの場合は、40日40夜、悪魔の誘惑を受けるために引き回した。

  このことは、神は、私たちが人生の試練を受けている姿を全て知っておられることを示唆します。私たちは時には嫌になるような力に振り回されたり、虚無的な力に翻弄されたりしますが、その時、神もそこにおられて、私たちを鍛えるか、育てるか、新しく造り変えるか、砕いて謙虚にさせるか、色々な目的を持って、聖霊の神が引き回して下さるのだということでしょう。神もそこにおられるから、必ず逃れの道も備えて下さるのです。

  こうして40日40夜、悪魔の誘惑を受けられ、「その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」

「その間、何も食べず」とあるのは、ただ神だけを礼拝する決断を一貫して貫かれたという意味です。神への従順を貫くために、そして人類の救いのために、食欲という本能さえ背後に退けられたのです。

  40日後、40は完全数ですから命が尽きるほど極限までの断食を行われて、晴れて長い断食を終えると、待っていたのは、耐えられないほどの空腹でした。だが、ものすごい空腹に襲われつつも、やっと解放されたという達成感や喜びも味あわれたでしょう。

  するとすかさず、気の弛みを狙って、悪魔の誘惑の手が伸びたのです。悪魔は人の急所を知っています。彼はそこを突いてくるのです。イエスはそこを襲われたのです。

          (つづく)

                                       2014年7月13日

                                       板橋大山教会 上垣 勝



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