津波の夜の、2人の違った感想


ツール・ド・フランスの選手が到着する前にこんな宣伝カーが数10台到着し、人々に宣伝の商品を投げます。日本同様、皆拾いに行きます。
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                                                   喜びは手元にあり (中)
                                                   ルカ6章20-23節



                              (2)
  さて、イエスは「目を上げ弟子たちを見て言われた」とあります。目を上げてとあるのは、当時、先生は前に座り、生徒たちは立って聞いたからです。

  今日の場面は、12弟子をお選びになった直後の話です。ですからこの教えは、選んだ弟子たちに語る最初の授業と同じです。教師は、第1回目の授業では、詳しい各論でなく、勉強の仕方とか考え方の基本だとか、全体的な非常に大事なことを語ります。

  その初回の話でイエスは、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。 今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる…」とおっしゃったのです。

  非常に逆説的です。イエスは、貧しさや飢え、泣くことや憎まれることを勧めているのではありません。貧しい人や飢えている人、憎まれている人は決して幸福ではありません。それらを肯定しておられるのではない。キリスト者はそんなことを願い求めよと言っておられません。

  では何故、新しく選ばれた弟子たちに、その初回に、普通の人間の考えとは逆のことを語られたのでしょう。

  「幸い」という言葉、あるいは「幸福である」と言う言葉であっても、翻訳としてはベストではありません。「幸い」とか、ハッピーというと、情緒的な感情や雰囲気が入って、AKB48のキラキラした若者たちが、ハッピー、ハッピーと言い合って、喜び抱き合って飛び上がっている姿を思います。

  だがここで言われているのは、冷めた、率直な事実の表明です。今、目の前にいる弟子たちは貧しく、飢えているが、「神の国はあなた方のものである。」イエスの周りに集まった者たちは、貧しく、飢え、罵(ののし)られているが、神の国支配下に置かれている。何者もあなた方から神の国を奪うことはできない。今泣く人があり、憎まれる人や、追い出され、汚名を着せられ、苦難の中にある人もあるのは事実だが、やがて神の終末的なご支配が来る。神の国の喜びは既に手元にあるが、「その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。」

  イエスが言おうとされるのは、神の国の客観性であり、それは人間の肉の目に理解し難いもので絶対的他者性を持っていますが、今もうすでに来ており、その前兆を信仰者は少し味わっているが、終末には全てを味わうことになる。

  22節に「人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき」とあります。「追い出され」とは、「非合法化され、追放され、信仰が禁止され」という意味です。「罵られ」はそのままでいいですが、「汚名を着せられ」とは、悪者だと言われ、偽善者だ、有害だと言われることです。

  戦時下の先輩の牧師たちの中には、そんな汚名を着せられ、国賊呼ばわりされ、有害だと言われた方々がいました。獄中で殺された人たちもあります。しかし、そういう迫害の時代にあっても、神はあなたがたと共におられ、あなた方をお捨てになることはないと語るのです。

  あなた方の現状は幸せと言えない。普通の人は不幸と見る。だが、肉の目に見える状況にも関わらず、あなた方は神の祝福を受けるというのです。

  2年ほど前に、被災地の仙台と石巻に行かせて頂きました。その時、津波で被災した人が書いた手紙を読みました。その方は高校生の孫だったかと、天井まで押し寄せて来た津波からやっと逃げて、2階の屋根に這い上がって一夜を過ごし、助け出されたということでした。

  あの夜は、町の一切の明かりが消えたので、空に満天の星がキラキラ輝き、恐ろしい程、煌々(こうこう)と輝く星を見たそうです。

  ところがその時、一切のものを奪われて、こんな場所で孫と凍えそうになって震える自分らの上に、余りにも燦然(さんぜん)と輝く夜空の酷(むご)さに、腹立たしくなったそうです。夜空に怒りを覚えたというのです。

  私はそれを読んで、地上で何時間も怯(おび)えていたその人の気持ちが分かる気がしました。

  その何ヶ月か後、何かの機会に、また別の人の話を聞きました。それは別の地域ですが、やはり屋根に逃れて、同様の経験をして、やはり同じように満天の輝く星空をご覧になったのです。その時、その人は、「何て素晴らしいのだろう」と、神のご支配はあるというふうなことを思ったということでした。

  私はこの2人の感想を知って驚きました。ほぼ同じ条件に置かれながら、全く逆の感想が生まれた厳粛な事実です。

  前の人には激しい怒りがありましたが、後の人には不思議な喜びがありました。自分たちを奮い立たせてくれる星空を見て励ましを得ておられる。3.11の巨大な災害に同じように遭いながら、何故こうも違うのかと思って驚きました。

  貧しい者は「災いだ」。「不幸だ」。多くの人はそう思います。それは理性が下す素直な結論です。ところが、貧しい人、今飢えている人…など、あなた方は幸いだと言われるのです。その違いに驚きます。どうしてなのかと思います。

           (つづく)

                                       2014年7月6日


                                       板橋大山教会 上垣 勝



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