真理の柱である教会


                      アルプスにはいろんな妖精が住んでいました。
                                               (右端クリックで拡大)
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                                                   真理の柱である教会 (下)
                                                   Ⅰテモテ3章8-16節


                              (3)
  以上、長々ご説明しましたが、パウロはなぜ監督や奉仕者の資格をこれほど厳格に捉えたのでしょう。

  エフェソは異教の地です。現代も遺跡が残るエフェソの巨大な大神殿は何千人もの神殿娼婦を抱え、賑わっていました。コリントもそうです。クリスチャンは少数者であり、マイノリティ・グループです。祈っても、何をしても、全体への影響力は微々たるものです。そんな異教が絶対的多数を握って支配している所でどうすればいいかということです。

  そこでは人格的な影響力以外にありません。あの人にはどうして何かしら惹かれるものがあるのだろう。何か不思議な光がある。今はオーラが漂っていると言います。喜びがある。逆境にあると思うのに感謝に溢れている。パウロが、「キリストの香り」とか「キリストの手紙」というような言葉を用いているのは、その辺のことがあるからでしょう。そういう人格に現れるものが一番人に影響を与えます。それは取ってつけるものではありません。自然とにじみ出るものです。

  そこで彼は、キリスト教会とは何であり、何でないか、その本質を何と考えるかです。それが、「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」という言葉です。

  監督や奉仕者がなぜ必要か。また彼らはどういう者たちであるべきか。その資格はどうかを厳格に語ったのは、キリスト教会の本質はここにあると考えるからです。

  「神の家、教会とは、真理の柱であり、真理の土台である。」これは言い過ぎでないかと思う方があるかも知れません。だが彼の目には、世の真理は常に移り変わるものでした。今日でも同じでしょう。これまで憲法9条の解釈が何十年間も定まっていたのに、同じ政党がコロッと解釈を変え、解釈改憲ということで平和憲法の逸脱を平気でしようと様子を窺(うかが)っている。骨抜きです。ローマ時代も今日も同じです。この世の真理は一晩で変わる可能性がある。

  だがキリスト教会は真理であるキリストを土台としてその上に築かれている。人間の姑息(こそく)な私欲で一朝一夕で変わるようなものではない。これは永遠に変わらぬお方を磐石の基盤にして、それ自体が真理の柱、土台として世を支えるのである。パウロには、この柱が揺らぎ崩れるなら、世界が崩れるであろうという自負があります。教会は小さい。だが教会は世界の良心であり、世界に救いの光を放っている。

  教会のこの本質から監督や奉仕者の資格を考えるなら、地の塩、世の光であることが資格になるのは当然でしょう。

  キリストの十字架は世界の根源深くその岩盤まで、今も打ち込まれたままです。またキリストは十字架の血で教会を贖いとることによって、世界を支える土台となられた。ですから、教会は世界を支える真理の柱性、土台性を持っているのです。私たちは教会の存在を過小評価してはならないのです。

  先週、ローマ法王のフランシスさんがイタリアの新聞の質問に、長い公開の手紙を書いて答えていました。日本の新聞に出たでしょうか。面白い発言というか、面白い切り込み方です。恐らく更に人気が出ることでしょう。

  無神論者に対して彼は、「あなたは天国に入るために神を信じる必要はありません」と言うのです。面白い発言ですね。無神論者に、神様の所に行く道を示している。大変愉快です。

  恐らく、ローマ書8章を考えながらの発言でしょう。主なる神を知らない者も、主は良心に従って裁かれるとあります。ですから、信仰を持たない人は彼の無神論の良心に従うなら、神に赦されるという発言でもあります。彼はまた、神の憐れみは限りないので、心から悔い改めて神のもとに帰るなら憐れみをお与え下さるとも語っています。更に、信仰を持たない人たちにとっても罪は存在している。それは自分の良心に従わない時に罪になると言っています。キリスト教はもっと根本的に罪を捉えていますから、私は問題を感じますが、これも考えさせられる発言です。

  何を考えさせられるのか。非常に寛容な発言です。神を否定する無神論者をも神は救おうとしておられるということでしょう。この発言で、今後、信仰者と信仰を持たない人との対話が促進されるに違いありません。これはもしかすると、世界に新風を吹き込むかも知れません。

  いずれにせよ、「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」神とキリストの真理は世界を支える真理の柱として土台として、この世界を堅い岩盤のように支えるという確信です。だからこういう発言も可能になるのです。

  私たちも、この神の教会、キリストの教会が持つ力を確信していきましょう。

       (完)

                                        2014年6月15日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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