小事に忠実


                           チェルマットの教会           (右端クリックで拡大)
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                                            小事に忠実な者は大事にも忠実 (上)
                                            ルカ16章10-13節


                              (序)
  今日は先週の続きですが、先週の9節、最後の所でイエスは、「不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」と語られましたが、それは、言わば辛辣なブラック・ユーモアであると申しました。もしそでなければ、「不正にまみれた富で…」というイエスの方がおかしいと思います。

  というのも、「永遠の住まい」とある「住まい」は原文では仮小屋やテントのことだからで、不正な富で得た「永遠の住まい」、だがそれは「仮小屋」に過ぎないと言われるのです。そんなものは一時的な気休めを授けてくれるが、永遠の救いを与えてくれる訳がないと言っておられるのです。

  だがそうだからと言って、「この世の富で友達を作りなさい」、この世のものを毛嫌いするな、有効に用いよというイエスの勧めまで、全否定すべきではないとも申しました。むしろ、大胆に地の塩として、塩味を失わず、賢くこの世の中に入っていく。そのことによって、主イエスにあって生きる者が、この世にある存在意味に目覚めて行くことができるということです。

  そこに私たちがイエスに招かれた意味があること。この世を見下げず、世の隣人を心から愛し、いたわり、友になっていく。賢く世の人と肩を組んで、この世に信頼と平和を作り出し、誠実にこの世で生きていく。そこにキリスト者の使命があるとイエスはおっしゃる訳です。

  「この世の富。」ここには欲がつきまといます。しかも、しつこくつきまといます。欲張り、強欲ということも起こります。すると、この世の富は人を奴隷にする巨人となって立ち現れます。

  だからと言って、富の問題の全くの無視は誰もできません。「人はパンのみで生るにあらず。神の言葉によって生きる」とはいえ、神の言葉のみでは生きることができないという現実があります。たとえ教会といえど、牧師といえど、霞だけでは生きることはできません。

  先週申しました結論は、言葉を換えて言うなら、イエスは富の問題を、自分がどう食っていくかの問題としてだけでなく、隣人とどう食っていくか、他者と一緒にどう生きていくかの問題として、弟子たちに語られたということでした。

これは、近くは、日本人が中国や韓国の方々と、どう共に生き、歴史を新しく作っていくかということに関わってくる事です。「キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるか理解するように」とエフェソ書3章にありますが、イエス・キリストの視点は、現今の日本の喫緊の問題にも光を当てるほど非常に大きく広く、深いものがあります。

                              (1)
  さて、今日はその続きの10節です。イエスは、「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」と言われました。

  どんな大きな仕事も、小さい、細々(こまごま)したものから成り立っています。神は細部に宿るとも言われます。宇宙は奥が極められないほど無限に広がる広大な大自然ですが、細部に分け入ると再び無限に近い世界が現れます。神様は宇宙の無限と、原子や原子核や細部に向かう無限と、両方向に神秘な無限をお造りになられたのです。これは神秘としか言いようがない程の不思議です。

  いずれにせよ、小事にしっかり心を使う者は、大事にもしっかり心を使い、小事に不忠実な者は、大事にも不忠実だということは真理でしょう。

  この対極の関係は色んな世界で真理だと思います。佐伯祐三の絵が好きな方もいらっしゃるでしょう。30歳の短命でしたが、この画伯の一番いい時代は、白の使い方が上手く、繊細と大胆が同時に存在していたと思います。この2つが同時的にあって、それが私たちの心を惹きつけました。だが、フランスから帰国した彼は、急にバランスを崩し描けなくなります。確かに日本での作品の多くは駄作です。

  スタップ細胞の小保方さんの論文が問題になったのも、世界を駆け巡った画期的な発見と言われたものが、細部は余りにも杜撰(ずさん)であった。画像の扱いなど、小さいことに科学者としての常識が疑われる振る舞いがあったという事です。

  ただ、イエスが言われた「ごく小さな事」とはこの世の事、世俗の事です。それは、神の国、永遠の神の救済の問題からすればごく小さいと言う訳でしょう。だが、この世の事に忠実な者は、神の国についても、信仰についても忠実である。この世の事に不忠実な者は信仰の事にも不忠実であると言われるのでしょう。考えさせられます。

  イエスは弟子たちに、あなた方は日々の小さな事柄を、生き方を大事にしなさい。小事にも心を込め、隣人に対し柔和で、寛容をもって接し、信仰と感謝を持って生きなさい。むろん経済のこともです。台所の経済は世界経済に通じています。神のことにも隣人のことにも関連します。足元のことと、神の国という大きな目標が乖離してはならない。神のみ心に叶いたいという大きな目標を見失わず、小事を心を込めて行いなさいと勧めておられるのでしょう。

         (つづく)

                                        2014年5月11日



                                        板橋大山教会 上垣 勝



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