侮るな。ゴミの中に宝がある。


                    伊香保グリーン牧場の シープ・ドッグ・ショウで。     (右端クリックで拡大)
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                                                この世の子らと光の子ら (上)
                                                ルカ16章1-13節



                              (序)
  今日の所は興味深い箇所ですね。ですが、中々難解です。特に8節、9節は辛辣でアイロニーが漂っています。

  私たちの聖書は、13節まで一括りにしていますが、幾つかの英訳聖書は幾つかの段落に分けています。あるものは8節までをひと纏まりにし、9節の「そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。…」を独立した段落にし、10節以下はまた1つに纏めて、3つに分けています。

  それぞれを関係づけるのが難しく、解釈しにくいからです。ただ、段落をつけて工夫しても意味が取りにくいですから、私たちの聖書のように全部をひと纏めにすると、かなり無理があります。

  それで今日は、まず1節から9節を1括りにし、10節から13節は来週に取り上げたいと思います。

                              (1)
  さて、この前の15章の「失われた羊の譬え」や「放蕩息子の譬え」など3つの譬えは、律法学者やファリサイ人に語られたものでしたが、この「金持ちと不正な管理人」の譬えは、それらとは情況が異なり、12弟子に言われたとあります。従って、ここは12弟子や私たちに向けて語られたものと考えていいでしょう。

  結論を言えば、キリストの弟子たちもこの世から大いに学ぶべきであること。この世を見下してはならないことです。また地の塩として生きるとはどういうことかを考えさせられます。

  譬えをかいつまんで申しますと、ある金持ちが、これまで財産を任せていた管理人の不正を知り、会計報告を出させて事実関係を調べ、解雇しようとします。ところが、管理人は解雇させられても再就職できるように、何人か借りのある者らを呼んで証文を書き換えさせ、半額にしたり、何割も減額したりして恩義を売り、クビになった時に誰かが自分を迎えてくれるように手を打ったという話です。非常にずる賢い大番頭です。

ところがそれを知った主人は、「この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた」というのです。また、この譬えを話したイエスは、「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」と語られ、更に不正にまみれた富を用いてでも、友達を作れと言われたと書かれ、この辺りから疑問が深まります。

  原文のギリシャ語では、主人が不正な番頭を褒めたことが強調されています。まるで、「抜け目のない奴だ。誤魔化しがなければいつまでも雇っておくのだが。惜しい番頭だ」というような気持ちが言外に出ています。抜け目のないというのは、ずる賢いという意味と、分別ある、思慮深いという意味もギリシャ語には含まれています。

                              (2)
  イエス様は無論、この不正な管理人のようになりなさいと勧めたのではありません。それはこの話の最後の方で、「他人のものについて忠実でなければ」と言われていますから、主人のものに忠実でなかったこの管理人をそのまま認めている訳ではありません。また、「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。…あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」と言われて、富に仕える彼の問題を指摘しておられます。

  ただ、イエスがこの譬えをされたのは、主人が褒めたように、この管理人にも学ぶべき点があること、「この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている」ことを言おうとされたからです。ある日本語の個人訳は、「この世に属する人々は、この世のことにかけては、光に属する人々よりも、頭の回転が早いものなのだ」と訳しています。

  いずれにせよ、イエスは褒めておられるのです。世を侮ってはならない。反面教師であるにしろ学ぶべき面を持っていると言われるのです。

  弟子たちはどうだったか知りませんが、クリスチャンは、そうでなければいいのですが、世を下に見がちではないでしょうか。「この世の人たちは…」と、つい言いがちです。だが、見下げるのでなく、世からも学びなさいと言われるのです。

  管理人の不正、失敗。だが失敗にも希望の小さな種が宿っていると言っていいでしょう。失敗は成功の元とも言われます。

  無論イエスは、先程も触れたように、不正な管理人に倣えと言っておられません。そうではなく、火中の栗を拾うとでも言おうか、彼が持っている巧妙さ、その宝から学べということです。

  ゴミのようなものの中に宝が隠されています。最近、廃棄される携帯電話や家電製品に注目が集まっています。これらはゴミかも知れませんが、その中にレアメタルという日本で殆ど産出しない希少価値のある金属が使われているからで、回収すれば何百億円、何千億円の巨大ビジネス・チャンスがあるそうです。産業廃棄物であるゴミに莫大な宝が隠されているという事です。

  そうなら、それを活用しない手はないでしょう。それと同様に、この不正な管理人の抜け目のないやり方に学ぶ面があり、「この世の子らは、光の子らよりも賢くふるまっている」ということを真面目に考えるべきです。イエスは自由な方ですから、この世に隠された宝物を掘り出されるのです。

        (つづく)

                                      2014年5月4日



                                      板橋大山教会 上垣 勝



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