’Nebojte se, radujte se! ’(喜べ、たたえよ…)


                       ヨーロッパ・アルプスの野原で          (右端クリックで拡大)
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                                           私の心に適う者 (上)
                                           マタイ28章1-20節



                              (1)
  イースターおめでとうございます。先ほどの聖書に、「安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った」とありました。

  ユダヤ教安息日は土曜日です。土曜が終わり、週の初めの日、即ち日曜日の明け方に、2人のマリアがイエスの遺体が納められた墓を見に行くと、大きな地震が起った。マグニチュード幾らか分かりません。岩が転がり、墓が開く程の地震でした。主のみ使が天から降って、大きな石を転がし、その上に座ったというのです。

  墓が開いたのは地震のせいだったか、天使が座ったからか、神話的な表現で書かれていますが、イエスは死後3日、臭い始めていた筈ですが、み使いは、イエスの復活を告げたというのです。「あの方はここにおられない。かねて言われていた通り死者の中から復活された。遺体が置かれていた場所を見なさい。急いで、弟子たちに告げなさい。あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」

  女たちは驚き恐れたでしょう。私たちも、身近な者が死にドライアイスで冷やされ霊安室に置かれていたのに、3日目に消えたとなれば、恐ろしいです。体が震え、寒気が背筋を走るでしょう。女たちも震え上がったのです。ただ、恐れただけでなく、婦人たちは恐れながらも、大いに喜んだと書かれています。イエスの復活の知らせに、恐れと期待が混じった複雑な感情に襲われた。これがイースターに起こった出来事です。

  これが原動力となり、キリストの福音が大胆にも全世界に伝えられることになりました。

  以前に触れたことがありますが、25年程前、東欧に次々起こった民主化の波がありました。銃声が1発もなく東欧諸国の国境が開かれ、想像もしなかった画期的な出来事が次々起こりました。

  その背後に、東欧のキリスト教会に集う民衆の、静かだが、我慢強い、燃えるような熱情を秘めた信仰がありました。キリストの復活に対する信仰でした。復活のキリストから来る力によって、彼らは、粘り強く国家権力の前で非暴力の行進をし、キャンドルを灯し、讃美歌を歌い、「’Nebojte se, radujte se!…’ 喜べ、讃えよ。恐れることはない。喜べ、讃えよ。キリストは甦られた」と歌って、国境を開くこと、民衆を自由にすることを粘り強く要求したのです。

  色々な要素が混じっていましたが、一言で言えば、キリストの復活信仰が共産主義諸国を動かし、民主化が勝ち取られました。死人の中から甦ったイエスの復活。これが神から来る、タダ事でない大胆な力を信じる者に与えたのです。それは2千年前も今も同じです。

                              (2)
  御使いが語ったのは、「喜べ、讃えよ。恐れることはない。キリストは甦られた。」さあ、急いで、弟子たちに告げなさいと言うことでした。

  女性たちは我に返り、弟子たちの所に走って引き返しました。なぜ主は墓からいなくなったのだろう。死者からの復活とは何だろうなど、次々胸に浮かぶ疑問を思い巡らしながら小走りに走ったでしょう。

  すると復活のイエスが、「おはよう」と明るい声をかけられたのです。思いがけない方の爽やかな挨拶に、彼らは「近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」と語られています。感無量になって思わず泣き出したでしょう。

  するとイエスは、「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる」と、御使いと同じことを語られました。

  「ガリラヤに行け。そこで会うことになる。」ガリラヤとは弟子たちの住み慣れた町や村です。イエスが人々を愛された場所です。彼らの家庭も仕事もあり、隣人もいる場所です。旅の途中や、特別な場所でなく、普段の日常生活において復活のイエスに会うことになると言われたのです。

  この時以来、キリスト教徒たちは自分の家族や職場で復活のキリストが何を自分に語られているのか。普段の隣人との生活の中でキリストに従い、中々苦労させられる隣人がいますが、でも、どう、そういう隣人を愛すればいいのかを考えるようになりました。それは、そうすることによって自分たちのガリラヤ、自分たちの暮らしの中に今もおられ、そこ働いて下さるキリストに出会うことができるからです。また、そういう生活の中でこそイエスとの出会いが一層リアルに深められ、信仰が実際的具体的になり、イエスの言葉が喜びとなり慰めとなるからです。

       (つづく)

                                      2014年4月20日


                                      板橋大山教会 上垣 勝



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