腸(はらわた)までムチ打つ


                                         あなたの道に光がさす (上)
                                         詩編119篇89-112節
                                         ヨハネ福音書8章12節



                              (序)
  今日は今年度の招詞の一つ、5月から7月に掛けて読まれる119篇105節を、その前後と共に取り上げました。

  119篇は10ページ、176節に及ぶ長編詩で、一貫して主の掟を慕う熱い思いで満ちています。ここにある掟とは、律法、戒めのことですが、言葉を変えて言えば主の御言葉のことです。神のみ心を熱く慕い求める信仰者の素晴らしい長編詩。これが119編です。

  89節にラメドとあり、97節はメム、105節はヌンとなっているのは、それぞれ英語のL、M、Nに当たるヘブライ語です。この詩はヘブライ語のアルファベット歌、日本流に言えばイロハ唄です。イロハ唄ですが、今から2300~2400年前のものとは思えないほど深い思想性に溢れた格調の高い信仰の歌です。

                              (1)
  89節は、「主よ、とこしえに、御言葉は天に確立しています」と語ります。御言葉は天に永遠に確立している。御言葉は永遠に揺らぐことはありません。人間がいかに謀ろうとも、人の知恵がいかにそれを揺るがそうとも、不変不動で、巨象に対する蟻のごとくビクともしません。人類は山を切り崩し海を埋め立て、工場を建て基地を作り、自分たちの便利なように造り変えていますし、地球の資源をやがては枯渇させるかも知れません。だが、巨大な宇宙全体を決して造り変えることはできないでしょう。宇宙の秩序も法則も作り変えることはできません。にも拘らず、その宇宙も滅びる時が来るかも知れません。だがたとえそうなっても、神の言葉は決して揺らぐことなく天に確立しているのです。イエスが、「天地は滅びる。だが私の言葉は決して滅びることはない」とおっしゃったこととダブります。

  89節の言葉は何と晴れやかで、真理を洞察した素晴らしい言葉でしょう。私たちは自信を持ち、胸を張って、御言葉の前に生きればいいのです。安心してこの方の下で歩めばいいのです。

  92節には、「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません、それによって命を得させてくださったのですから」とあります。

  この信仰者は苦難を経験していました。滅びてしまいそうになり、甚だ卑しめられてもいたようです。「神に逆らう者はわたしを滅ぼそうと望んでいます」とありますから、死の危険が迫り、今も苦難の中にいるのかも知れません。だが、主の言葉を喜びとし、支えとして行く時、厳しい苦難を大半乗り越えて行くことができたのです。「わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません、それによって命を得させてくださったのですから」と歌っている通りです。彼はその価値ある嬉しい経験を忘れないのです。それによって勇気を、喜びを、生きる力を得させて頂いたからです。

  神の命令とは戒めのことですが、戒めは喜びにも慰めにもなります。人間の場当たり的な気休めの言葉とは違います。そこにまことの生命があるからです。

  94節に「わたしはあなたのもの」とあります。このような言葉を喜びと信頼を持って言える人は、何と幸いな事でしょう。

  更に96節で、「何事にも終りと果てがあるのをわたしは見ます」と語ります。これは人生の深い洞察です。苦しみには限りがあります。永遠に続きません。必ず主がそれを止めて下さり、治めて下さるのです。限りがあるから人生は美しいのです。

  何事にも時があります。「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」とあります。神の手は短くはありませんが、神の時を、神が働いて下さる時を待たねばなりません。試練を負っていても生きる価値があります。人生には試練ゆえに生まれる味わいがあります。

  だから「広大なのはあなたの戒めです」と歌うのです。神のみ心は広大で限りがありません。切り株からも、希望の蘖(ひこばえ)を芽生えさせて下さるのです。

  98節に、「あなたの戒めは、わたしを敵よりも知恵ある者とします」とあり、「師にまさり、長老たちにまさる」英知を得させてくださいとあります。なぜなら、神の戒めは私たちを諌め、戒め、砕いてくださるからです。時に私を厳しく叱って下さるからです。夫も妻も、社長も総理大臣も、自分を砕いてくれる者がいないのは危険です。しかし神の戒めは、時に腸(はらわた)に届くまで鞭打って下さるのです。

       (つづく)

                                      2014年4月13日


                                      板橋大山教会 上垣 勝



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