筋が通っている兄の言い分


                          チューリッヒ市立美術館で
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                                         弟は生き返ったのだ (上)
                                         ルカ15章25-32節



                             (序)
  先週は、イエス様が話された「放蕩息子の譬え」の前半を学びました。これは1節以下にあったように、徴税人や罪人が皆、イエスの所に集まって来た時、ファリサイ人や律法学者が強い不満を抱いたので、イエスが語られた3つの譬えの1つです。

  久しぶりの方々もあり、先週の所をかいつまんで申しますと、ある人に2人の息子があり、弟が父の財産を生前に分けて欲しいと願うので、父は兄弟に分けてやります。すると弟はすぐ現金に換えて外国に行き、悪友たちや娼婦たちと放蕩の限りを尽くして財産を使い果たします。一文無しになり、ユダヤ人が最も忌み嫌う豚飼い人になりますが、食料も手に入らない極貧生活で豚の餌で飢えをしのごうとします。やがて、自分が出てきた使用人が沢山いる実家を思い出し、罪を悔いて父の所に帰って行きます。ところが戻った息子を父は叱らないばかりか、一番良い服を着せ、手に指輪をはめさせ、足に履物を履かせ、肥えた子牛を屠って祝宴を始めたというのです。ここには多くの深い意味がありました。しかし、それはもう申し上げません。今日はその続きで、「放蕩息子の譬え」の後半、先程お読みいただいた、父と長男のことから学びたいと思います。

                              (1)
  さて、家では祝宴が始まりましたが、25節にあるように、まだ「兄の方は畑にいた」のです。やがて畑仕事を終え、「家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた」のです。兄は、一体何だろうと不審に思ったでしょう。それで、更に近くに寄り、「僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた」のです。すると、「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです」と告げたというのです。

  兄は、思わずエッと仰天したでしょう。初めて聞く話で耳を疑ったでしょう。それに、「肥えた子牛」という言葉が、強く耳を打ったと思います。これは、手塩にかけ肥え太らせていた上等の子牛のことです。聞いて子牛の顔がサッと頭に浮かんだ。それと共に、あの放蕩のドラ息子が帰って来たと思うだけで、内心穏やかならず、頭に血が上ったのです。まあ、これに似た経験をしたことがある方があるかも知れません。私の兄は戦後闇市のドサクサ時代にヤクザの世界に入りかけました。父はドラ息子のように扱い気が休まらなかったようです。

  今日の話の兄はカッとなって、暫く前に学んだ、「男は怒らず争わず、どこででも清い手を挙げて祈りなさい」どころじゃありません。「兄は怒って家に入ろうとはせず」と書かれています。僕はすぐ事の重大さに気づき、家に駆け込んでご主人に告げました。すると、「父親が出て来てなだめた」のですが、長男の怒りは収まらず、「父に言った」のです。単に言ったのでなく、父に抗議したのです。鋭く反論し、腹に据えかねていたものを吐き出したのです。

  それが29節以下の、「このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる」という言葉です。相当激しく怒っているのが分かります。

  兄は几帳面な男でしょう。父の言いつけに一度も背いたことがない。ズルをしたことがない。父が命じれば、額面通りそれを行う。忠実この上ない男でした。融通が利かない。石頭と陰口されても、ガンとして父の命令を守る。模範的な息子でした。

  ところがこの日はいつもと違って、父親に逆らって鋭く抗議した。兄の言うことは正当です。少しも間違っていません。皆さんの中に、この兄が間違っていると思う方はいらっしゃるでしょうか。私は兄の言い分は筋が通っていると思います。それに、聖書に書かれていませんが、息子が帰って来たことが喜びなら、なぜ真っ先に畑の長男に知らせなかったのか。祝宴の最初から兄も一緒にいる方が、どんなにいいでしょう。兄を外すなんて酷い。なぜ父は、こういうことをしたのか。これは不可解です。

  父は、筋を通そうとする兄の性格からして、弟の帰りを知らせて祝宴のことを相談すれば、うるさいことになると考えたからでしょうか。あるいは、家に多数の使用人がいる大きな農家です。畑仕事は、時期によっては一時も手を離すことが出来ず、兄が現場で一々指揮しなければなりません。そういう時に兄を呼べば、返って兄を怒らせてしまうでしょう。それで父は、財産はもう息子たちに分けたにしても、家督の実権はまだ握っていますから、独断で祝宴を開いたとも考えられます。

  ただ、兄を呼ばなかった理由が書かれていないのは、最もシンプルに考えるなら、長男は自分と一体ですから、彼も文句なしに喜んでくれると信じていた、それを信じて疑わなかったからでしょう。いずれにせよ2千年前の古代社会の親子関係ですから、現代と違うのは当然です。

      (つづく)

                                      2014年3月16日



                                      板橋大山教会 上垣 勝



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