さあ、指輪をはめて!


                     クールベ作「マス」、チューリッヒ市立美術館で
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                                         さあ、指輪をはめて! (下)
                                         ルカ15章11-24節
        

                              (2)
  さて、息子は、きつい、汚い、同族に見つかれば汚名を着せられる危険がある3Kの職場で、重労働をしながら、「彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』」

  「我に帰って」とあること、また「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません…」とあるのは、彼の悔い改めです。神に対し、人生に対して、根本的な間違いを犯していたことの気づきであり、方向転換です。

  放蕩息子の譬えと、1節以下の見失った羊、無くした銀貨の譬えとの違いは、羊も銀貨もただ捜し出され、見つけられるだけで、全くの受身です。だが、人は悔い改めることができる存在であること。自分の意志で、今から再び父なる神に帰ることができる存在として造られていることです。そこに人間の貴さがあります。人が神に似せて造られたとは、神へのこの自主的な応答性にあります。

  「そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。」長い旅のために裸足の足に血豆ができ、服は汚れて擦り切れ、かつての立派な体格は見る影もなくなっていたでしょう。何日も腹を空かし、乞食のような落ちぶれた姿で帰って来た。

  まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて走り寄ったのです。父は息子の出奔後、夕方になると外に出て、忠犬ハチ公ではないですが、帰って来る息子の姿がないかどうか、今か、今かと待ちわびていたのでしょう。「憐れに思い」とは、断腸の思いという事です。元の言葉は、ハラワタが捩れんばかりの思いという意味です。

  息子が赦しを乞い、納得できる説明をするのを聞いて迎えたのではありません。父は心から憐れに思い、「走り寄って首を抱き、接吻した。」父の方から駆け寄り、抱き抱えた。そこに親の、子を思う真実な思いがにじみ出ています。息子が、「すみません」と言う前に、「よう帰ってきた。元気だったか。心配していた。私は嬉しい。よかった」と言って迎えたのです。

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  感動的な場面です。イエスがこの譬えを語られたのは、父なる神は、私たちの帰りをいつも待っておられるということを語るためです。もし帰って来れば、神は駆け寄り、抱きしめて迎えようと待ち構えておられるという事です。

  すると、息子は咄嗟に、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と心から懺悔し、赦しを乞うて詫びたのです。

  ここでちょっと気になるのは、先程の19節と違って、父親に対しては、「雇い人の一人にしてください」と言っていません。それは、父親に抱かれて、もう言う必要が無くなったからであり、そこまで言えば、年老いた父を一層悲しませることになると悟ったからでしょう。いずれにしろ、彼は本心に立ち返り、自分の考え、生き方が間違っていたことを詫び、赦しを乞うたのです。

  すると、父は僕たちに、「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」そして、祝宴を始めたというのです。今日の中心の箇所です。

  一番上等の服を着せなさいとは、着の身着のまま、ボロボロの汚れた服をまとい、豚に混じって動物同然に生きて来た憐れな息子を、人間らしい服で、愛という服で包んであげなさい。動物でなく、1人の人間として、温かく覆ってあげなさいという意味でしょう。神は、そのように私たちを取り扱って下さろうとしているのです。

  履き物を履かせなさいとは、奴隷のように履物も履かず、裸足で傷つき帰ってきた息子に履物を履かせることによって、家族の一員として迎えてあげなさいという事です。

  そして、「手に指輪をはめてやりなさい」とは、私の息子だという証拠を、父の子であるという証拠を身につけてあげなさいということ。財産をすっかり使い果たしたが、魂まで無になったのではない。その証拠に、今、私の目の前に、悔いて帰って来たではないか。悔い改めた人間が、どうして魂まで無になり、本質まで汚れ、ダメになったと言えようか、という事です。

  父の大事な指輪が、垢にまみれ、ささくれだった指にはめられたのです。れっきとした息子であるという印です。王子のように大事に育てられ、細くしなやかな長い指と、整った手を持つ息子だったが、何年かの間に、忌み嫌うべき豚飼いにまで落ちぶれ、食べるものにも窮する極貧生活、手はアカギレ、皮がむけ、血豆ができ、爪の間に黒い土が挟まった手になり、将来に希望をなくした男になって帰って来た。

  「さあ、指輪をはめて!」そして指輪がはめられたのです。父の子としての印です。この指輪は、「あなたは私の愛する子」という印です。「あなたは私の貴い、愛する子、私はあなたを選び、決して見捨てない」ということの証です。「恐れるな。私はあなたと共にいる。たじろぐな」と、指輪は語るのです。「あなたは、私にとって貴く、私はあなたを愛し、共にいる。」「私の口から恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない。」「見よ、私はあなたを、私の手のひらに刻みつける。」これらは旧約聖書の引用ですが、指輪はこれらの神の言葉の確かな証拠です。

  息子の指にはめられた指輪は、先程まで父の指にはめられていた指輪です。それは父の生涯を掛けた血と涙と汗の象徴です。イエスの十字架は、あなた方を決して捨てないと約束された神の指にあった確約の指輪であると言ってよいでしょう。

  またこの指輪は、洗礼で約束される救いの、確かな印を意味しています。私たちは、洗礼によって、目に見えない指輪をはめて頂くのです。その指輪には、「あなたは私の愛する子、私はあなたを決して捨てない。恐れるな。たじろぐな」という言葉が深く明瞭に刻まれているのです。

  放蕩息子は、父から貰った財産を無駄に使い果たしました。一文無しで帰還しました。本来なら、父に顔向けできず、許されず、一歩も敷居をまたげない筈です。だが父の愛は無限で、このような男にも変わらず続いていたのです。

  昔、結婚したが妻を愛せず、それがきっかけで信仰に挫折し離婚したという牧師がいました。優秀な方でしたが牧師もやめてしまいました。

  しかし、牧師をやめても聖書の研究を続けていました。ある時、ローマ書5章5節を調べていて、「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」という言葉に出会い、この「注がれている」という言葉は現在完了形で書かれていることに気づいたのです。どういうことかというと、自分は洗礼を受け、聖霊を与えられ、神の愛を頂いたが、信仰に挫折したので、神の愛を失い信仰も失ったと思っていたが、今も聖霊の働きが続き、神の愛が続き、信仰が続いているのだということだと知ったのです。

  一人の人を愛せなかった。だが、そんな神の愛を無にした人間なのに、挫折した人間なのに、神の愛は今も、私の心に注がれていると悟ったのです。とすれば、人間的挫折を超えて、再び、神の愛に導かれて人を愛してみよう、愛することができるのだと示され、改心し、もう一度牧師に帰ろうと決心されたというのです。

  この方も一種の放蕩息子だったのでしょう。父なる神から貰った信仰の財産をすっかり使い果たした、無駄に使ってしまったと思ったのです。一文無しの信仰者になったと悲観したのです。父なる神に顔向けができない、許されない、敷居を一歩もまたげない人間だと自分を責めて、牧師をやめたのです。

  だが、父なる神の愛はこの譬えの父のように、どこまでも、挫折した自分を待っていたのです。聖霊によって、今も、後も、とこしえに、愛が注がれていることを知ったのです。

  それは私たちにも言えます。神の愛は、今も、後も、どこまでも私たちに注がれています。私たちが神に帰ることは、死んでいたのに生き返り、いなくなったのに見つかったことだとイエスは言われ、食べて祝おう、さあ、祝宴を張ろうと言われるのです。

        (完)

                                      2014年3月9日




                                      板橋大山教会 上垣 勝



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