安らかな信頼


                      ドガ「髪をとく女」。チューリッヒ市立美術館で。
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                                           すべての人の贖い (下)
                                           Ⅰテモテ2章5-7節


                              (3)
  イエスは、ヨハネ福音書14章で、「私は平和をあなた方に残し、私の平和を与える。これは世が与えるようなものとは異なる。心を騒がせるな。おびえるな」とおっしゃいました。心の平和は内なる命の中心です。平和と喜びが、私たちの不安の深淵を埋めるのです。心のざわめきを鎮めるのです。ですからあらゆる時に、イエスの言葉を思い起こすべきです。自分が好きな、自分の心を支えるイエスの言葉があれば、それを暗記したり、肌身離さず持って、時々見ることはいい事です。

  イザヤ書30章に、「静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」とあります。安らかに信頼している。ただそれが重要です。慌てる必要はないのです。信じなければ何事も始まりません。

  平穏で落ち着いた生活は、何かをすることで得られるのでなく、ただ内なる生命の中心に平和のキリストを迎えるかどうかにあります。安らかに信頼することにこそ力があるのです。この方が不安の深淵を埋めて下さるのです。

  ですから、キリストは、「すべての人の贖いとして御自身を献げられた」と語られるのです。ここに全ての人の渇きを癒す、唯一の真実な泉が湧いています。キリストの贖い。これが尽きぬ泉であり、これが永遠に尽きない源泉であってすべての人の渇きを癒すことができるのです。贖うことによって、キリストはご自分を万人に差し出しておられるのです。私たちが神を愛したのでなく、神が私たちを愛して下さった。それを知る時、平穏で落ち着いた生活がスタートするのです。

  「すべての人の贖いとなられた」のです。既に完了しています。だがこの完了は、その影響が今も引き続いて働いているという意味の完了です。その人が気づいていなくても、既に贖って下さったのです。それを否定しても、罪は贖い取られたのです。ですから、ただそれを受け入れれば、キリストの恵みがドッと流れ込みます。今日は寒いですか?皆さんの右手の壁に、ガス・ストーブの受け口があります。そこまでガスが来ています。ストーブさえ繋げば、教会はもっと暖かく暖房ができるようになります。キリストの恵みも、そこまで来ている。それを受け入れればいいのです。

  ある人が言っています。キリストはいつも私の内におられました。それに、私はずっと気づいていませんでした。だが気づいていないだけで、キリストは優しく、本当に私たちを思いやって、私の内におられたのです。おられたのに、私が探していなかっただけでした。自分本位に、他を探し、気に入る時だけ探すだけでした。―これは私たちの実際の姿に近いのでないでしょうか。

  キリストは押し付けられません。傍らで、静かに共に歩む方です。心の静けさの中で、「私はここにいる。怯(おび)えるな。恐れるな」と言ってくださるのです。

  世界の根底に、神とキリストの良き意志があります。善人の上にも悪人の上にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる。だから、どんなに平穏が乱され、心の落ち着いた生活が取り去られても、驚く必要はありません。神への基本的な信頼を持ってよいのです。地の基がことごとく揺らいでも、神の恵みは変わることなく私たちと共にあります。

         (完)

                                      2014年2月23日




                                      板橋大山教会 上垣 勝



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