敵意の壁が砕かれた


                    H.Scherer「葬送の歌」チューリッヒ市立美術館で
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                                         平穏で落ち着いた生活 (下)
                                         Ⅰテモテ2章1-5節


                              (2)
  今日の箇所から、キリスト者は、すべての人に代理して神への祈りに召し出されているということを教えられました。私たちの使命は、まず全ての人達のために神に祈ることにある。どんなことがあっても、執り成しの祈りをする群れとして選び出された。この使命を覚えなさいという事です。

  バングラデシュは世界の最貧国の1つです。そこにテゼ共同体のブラザー達が住んでいますが、リーダーのブラザー・フランクという人が先月、フランスのテゼに帰る途中、乗り換えのイスタンブール空港で心臓発作のため急逝しました。彼は、35年ほど前、10年ほど狭山の被差別部落に仲間と住んでいた人です。その後バングラデシュに移り、十数年前、そこに知的障害の子どもや青年が共同生活する、ラルシュ共同体の施設を仲間と作りました。その施設のリーダーを、今は岩本直美さんという日本人女性がしていまして、その報告に接しました。

  岩本さんによれば、知的障害というのは治療や薬で治りません。生涯、ハンディを持って生きなければなりません。

  なぜバングラデシュ知的障害者の施設かというと、その国でも経済成長の中で先進的な医療施設が作られたり、高度な技術を持つ専門家たちが生まれたりしているが、知的障害者が置き去りにされている。そこで、彼らがありのまま受け入れられ、人間としての尊厳を認められて生活する施設を作ろうと、テゼのブラザー達が先ず2人の男の子を迎える決断をしたのです。

  現在20名の知的障害者が共同生活していますが、殆ど子ども時代に親から捨てられた人たちです。他にも地域から30名程が通って来ます。この50人ほどは全員イスラム教徒です。ここでは障害者が施設の中心なので、核になる人たち、コアメンバーと呼ばれます。職員が中心ではない。ただ、知的障害者だけでは生活できないので、彼らと一緒に住み、色々世話や補助をする人たちがいます。彼らはコアメンバーを支える人なので、支援者、アシスタントと呼ばれています。

  アシスタントの半分はキリスト教徒、残り半分はイスラム教徒です。バングラデシュは、歴史的にイスラム教が少数民族キリスト教の土地を奪ったり、家を焼き討ちしたりということがあり、今も対等な権利は与えられていないそうですが、キリスト教のテゼ共同体のブラザー達が施設を始め、イスラムの人たちに仕え、イスラムの人たちにも手伝ってもらいながら、運営しているわけです。今は岩本さんがJOCSから遣わされてここのリーダーをしています。

  キリスト教徒とイスラム教徒がどう一緒に暮らすのかというと、例えば、朝夕に共同の祈りの時間をもって、イスラムキリスト教が、信仰の違いを超えて一緒に祈りをするのです。どうしたら一緒に祈れるのか。相手の人たちは何を大切にし、自分たちは何を大切にするのか。互いに理解しようと努力して耳を傾けて、よりよく一緒に祈る道を模索しているのです。

  例えば、アシスタントたちの研修会に、イスラム教とキリスト教の指導者、双方に来てもらい、「許し」「信頼」「誠実」といった同じテーマで話しをしてもらう。コーランからあるいは聖書から、お話しをしてもらう。キリスト教の一方的な考えを押し付けないのです。

  テゼのブラザー達は、一体ここで何をしようとしているのでしょう。それは、どういう状況にあってもイスラム教徒とキリスト教徒が喧嘩せず、「共に生きること」です。困難があっても、一方的な考えを押し付けず、「共に生きて行こうとする」道を選び取ったのです。そこに品位ある、名誉あるキリストの道を見出したのです。だからその道を捨てない。彼らは共に生きるということを選択したのです。

  この選択は結婚に似ていると思います。歴史も文化も経験も違う2人が、互いに出会い、相手を伴侶として選びます。相手を伴侶として選ぶということは、他の異性を捨てるということです。この女性、この男性のみを選んだのです。結婚の選びは、他の異性を捨てるという厳しい選びです。捨てることなしに結婚相手の選びはないのです。

  同様に、この知的障害者の施設において、テゼのブラザー達やアシスタントたちは、どんな状況が訪れてもイスラムキリスト教が共に生きることを選び、他の道を捨てたのです。

  別の観点で言えば、テゼのブラザー達が仲間たちと目指していることは、信仰に基づいて、新しい文化を創造しようとすることです。新しい文化の創造。何と広く未来に開かれた、クリエイティブな業(わざ)でしょう。これまで地上になかった、キリストにおいて初めて可能となった、敵意という隔ての壁がキリストにおいて砕かれてしまったという事の小さな徴をイスラム社会で証しすることです。キリストは、人間が作る憎しみと分裂の壁をご自分の身において十字架につけて超えて下さり、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて、平和を実現してくださった。それを地上で指し示しておられるのです。

  和解。テゼ共同体が半世紀以上にわたって目指して来たのはこのことです。彼らは和解の「たとえ」を地上で生きようとして来ましたが、それをバングラデシュでも知的障害者を介して行なっているのです。

  今日の聖書が、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」と語り、「願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい」と勧めるのは、このことです。キリスト教徒だけでなく、イスラム教徒もヒンズー教徒も仏教徒も、宗教の違いを超えて、全ての人が救われて、まことの真理、天地万物を創造し、今も宇宙を貫く真理である、唯一の主なる神を全ての人達が知るように神は望んでおられる。今申しましたテゼのブラザー達がバングラデシュでしていることも、今日の聖書と繋がっています。彼らは実際的にそれを証しようとしている訳です。

  キリスト教は、この世を敵としているのではありません。また、ファリサイ派という言葉が意味するような、自分たちは清い、あの人たちは清くない、汚れている。そう言って自分たちとこの世を分離する者、更にはこの世を断罪する者ではありません。

  イエス・キリストはこの世に来られたのです。罪ある人間の友になり、人間となられたのです。主なる神こそ世界の王であり、主であられるから、この世が救われることを願い、すべての人々のためにキリストご自身が執り成しをされるのです。

        (完)

                                      2014年2月16日



                                      板橋大山教会 上垣 勝



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