皺は人生に深みを添えます


                          チューリッヒ市立美術館で
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                                             雄々しく戦う (中)
                                             Ⅰテモテ1章18-20節


                              (3)
  次の「正しい良心とをもって」と言われている、「正しい」とは、ギリシャ語でアガトスと申します。アガトスは外観の美しさや、優美さ、優秀さでなく、それとは対照的に言われる言葉で、外観はどうであれ、そのものの内的な本質が良いことを指します。即ち、どんな汚れた魂をも救い出して下さるキリストの憐れみに浄化されて、存在それ自体が本質的に善とされることです。見てくれでなく、内的本質の真実さです。

  外面の飾りや表面上の正しさではありません。地位や家柄や学のあるなしでもない。下心や、歪んだ心のない、曇りなき良心です。やはり神の聖さに与ることによって授けられる罪ある者の神聖さ。

  日本人はなぜか顔の皺やたるみを嫌いますね。皺ができると、アナウンサーも降ろされる。ハッタリであっても若作りしなければならない。ですから、徹子の部屋では大変な厚化粧で、皺が目立たぬようにして、ですから顔が引きつって不自然ですが、テレビに出ているのでないですか。しかしアメリカのニュース番組のアナウンサーなどは皺を隠しません。目もと、口もと、額も皺が目立って、憂い顔さえしていますが、あの憂い顔がニュースに独特な深みを添えます。皺あるままで何才になっても出演しています。

  どちらが自然でしょう。自分を隠さない、ありのままの姿が好ましいのでないでしょうか。自然的なものこそ、味も、趣きも、人としての深みも滲み出るのでないでしょうか。日本人は自然を愛する国民だと自慢しますが、これを見る限り、本当は自然を愛しているとは思えません。作為的な自然らしさを愛しているだけに感じます。

  今言おうとしているのは、正しい良心とは、作為的でなく、存在それ自体において真実であり、その本質において真実な良心です。言葉を足して言えば、人を騙さない、偽らない良心です。二枚舌を使わない、レトリックや言い回しで人をケムに巻いたり、誤魔化したりしない良心です。腹を割った素直な心です。

  アガトスとはこういう深い意味内容を持っていて、こうした曇りなき良心と信仰をもって、神のみ言葉に力づけられて、雄々しく戦いなさいと勧めるのです。

                              (4)
  先週の新聞の夕刊に、米谷(こめたに)ふみ子さんというアメリカに50年以上在住する日本人作家で画家である方が寄稿していました。「目覚めよ!75歳以上の年寄り」という題でした。長く在米でありながらだいぶ前に芥川賞を取り、話題になりました。今、85才ほどの方です。

           (つづく)

                                      2014年2月9日



                                      板橋大山教会 上垣 勝



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