天と地の喜びの交歓


                   チューリッヒ湖にはヨット・ハーバーがあちこちにあります。     (右端クリックで拡大)
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                                           見つかった1匹の羊(下)
                                           ルカ15章1-7節
         

                              (4)
  最後に、「見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」とあります。

  「見失った」という言葉が3回出て来ると申しましたが、今度は「喜んで」「喜ぶ」という言葉が同じく3回出ています。

  この譬えの終わりには、喜びだけがあります。喜び、小躍りして、肩車して連れ帰る羊飼いの姿です。見つかった羊が可愛くてたまらないのです。喜びのあまり、友達や近所の人達まで集めて、一緒に祝ってくださいと有頂天にさえなって喜んでいる姿です。

  神様は、私たちが神の前に帰って来るのを、それほど待ちかねて待って下さっているのです。「悔い改める1人の罪人については、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

  洗礼というのは、単に個人的な決断とか、メンバーを増やす教会の儀式ではありません。組織や制度や教会の自己保存のためではない。全く違います。天においての歓喜があるのです。待っておられる方がおられるのです。そのお方は私たちをお造り下さった創造者です。それが最大の洗礼の目指す意義です。そのことによって、神の喜ばしい栄光が、天において表されるからです。

  洗礼において、天上と地上の喜びを共に分かつ交歓。交歓です。天と地の喜びの交流。喜びのフェスティバルが天地を舞台に大きなスケールで起こることです。

  いなくなっても、別のものを買えばいいとか、同じような羊は大勢いるから代用品で間に合うとか、神はそんなケチな経済的価値で人間を見ておられません。私たちを、かけがえのない、取り替えのきかない一人として愛しておられるので、こういう喜びが天で起こるのです。

  悔い改めるとは、神に背を向けていたのを、意識的にはっきり180度転換して、神に向かって歩き出すことです。キリストに自分の過ちを委ねる。弱さもです。自分の全存在を委ねる信頼の一歩です。神に向き直るというこの180度の転換、この一歩は極めて大事です。この決断が一度なされる時、その後現れる様々な事柄での決断を可能にするからです。また、そこであなたは赦され、自由へと解き放たれ、喜びの生活へと迎え入れられるからです。


          (完)

                                      2014年1月12日



                                      板橋大山教会 上垣 勝



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