ド田舎でなく、日本のド真中


                   グロスミュンスターの塔上からチューリッヒ湖を臨む   (右端クリックで拡大)




                                            イエスの弟子 (下)
                                            ルカ14章28-33節



                              (3)
  マタイ6章をお開き下さい。6章の初めに、施しをする時は、「見てもらおうとして人の前で善行をしてはならない」とあります。その続きには、「施しをする時は、右手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである」とあります。厳しい。だが心すべき言葉です。

  次に5節以下で祈りについて言われ、6節で、「あなたが祈る時は、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いて下さる。」

  このことが大切です。「戸を閉めて。」これが重要なのです。これは「一切を捨てて」ということと同じで、一切を背後にして神に心を向けるのです。集中するのです。本当の集中です。するとお聞き下さる。くどくど、長たらしく祈るのでなく、神に真に心を向けて、集中し、神と出会い、神と交わり、神に委ねて祈るのです。すると、自分の十字架から逃げず、自分の十字架を背負って、しかも顔を輝かして生きていくことができる。偽善的に顔を輝かせるのでなく、本当に輝いてくるのです。

  これがイエスの弟子です。すなわち、イエスと一対一になり、裸になって向かい合うのです。すると自分から自由にされ、執着から、思い煩いから自由にされ、また恨みや憎しみやしくじりの後悔からも自由にされて、イエスの弟子として従って行けるのです。

  一日に15分でいいのです。主なる神の前に出て、聖書をひと言読み、祈る。長く祈る必要はない。腹に染み込む神の言葉を頂いて生きる。それを長く何年も続ける。マンネリもあります。だがそのマンネリが必要なのです。マンネリの中でマンネリから示されることがあり、ルーチン・ワークの重要さも分かってくるのです。そしてある日、本当に深いキリストとの出会いを経験する。何年も続けなければ分からないことです。

  何度か紹介しました星野富弘さんの「たんぽぽ」の詩は、何度読んでも素晴らしく、優れていると思います。

  「いつだったか/きみたちが空をとんで行くのを見たよ/風に吹かれて/ただ一つのものを持って/旅する姿が/うれしくてならなかったよ/人間だって、どうしても必要なものは/ただ一つ/私も、余分なものを捨てれば/空がとべるような気がしたよ」

  どうしても必要なものはただ一つである。余計なものを捨てるのです。すると伸び伸びし、肩の荷が降りて、自由にされてイエスに従って行くことができるでしょう。

  イスラエルの民は出エジプトを経験した民です。この事件は、イスラエルという民を考える上で欠かせない出来事です。それは亡命中のモーセへの神の語りかけから始まりました。彼はゴセンの田舎娘と結婚し、羊飼いになってエジプトの追っ手から隠れて暮らしていました。彼にとって今いる地は、逃亡者の、人生の失敗者の地です。だがそこで、「靴を脱ぎなさい。あなたが立っている場所は、聖なる地である」という神の語りかけを聞くのです。

  モーセはこの言葉に驚き恐れました。だが、自分の今いる所は逃亡者の、挫折の地ではなく、ここにも神がおられる聖なる地だということを示されていくのです。神に生きる時、ド田舎にいても東京のド真中にいるのと同じ価値を持っているのです。ド田舎でなく日本のド真中にいるのです。信仰において、私たちが置かれているどの地も聖なる地なのです。あんなことがあり、こんなことも重なり、今こんな目にあっている。いや、そうじゃあない。そこも神のみ国なのです。そこから新しい神による道が始まるのです。

  彼はやがて60万の民をエジプトから導き出し、シナイ砂漠を40年間旅をして、やがて乳と蜜の流れる約束の地カナンへ導きました。筆舌に尽くし難い数々の苦難、戦い、試練がありましたが、主なる神が約束された通り、60万の民を約束の地に導いて救われました。

  彼自身はカナンには入れなかった。ヨルダン川の手前で死んで行きます。だが確実に、彼は神から与えられた使命を果たして死んでいきます。だが彼は満ち足りて召されるのです。

  私たちが信じる神は、苦難、戦い、試練にも拘らず、60万の民にも必ず約束を守って実現して下さる神なのです。そうであれば、私たち主を信じる者の僅かな家族や仕事、また一人の信仰者の生涯をどうして持ち運んで、救って下さらないことがあるでしょうか。神は真実に従って行こうとする信じる者を責任をもって最後まで担って下さるのです。


          (完)

                                       2013年12月15日


                                       板橋大山教会 上垣 勝



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