罠(わな)


             これは何でしょう。今日のブログの後半と関係があります。チューリッヒで。
                        (次回の写真をご覧ください。)
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                                              愛と法 (上)
                                              ルカ14章1-6節



                              (1)
  今日の聖書は、「安息日のことだった」という言葉で始まっています。今日のテーマは安息日のことです。

  イエスファリサイ派の議員の家に入っていかれました。招待されたのでしょう。議員とありますが元の言葉では単に「指導者」です。彼らの指導者はほぼサンヒドリン、最高議会の議員ですからこう訳されたのでしょう。

  イエスはその家に行かれました。大変勇気を要したことでしょう。というのは、既に11章の最後で、「律法学者やファリサイ派の人々は激しい敵意を抱き、色々の問題でイエスに質問を浴びせ始め、何か言葉じりを捕えようと狙っていた」とありますから、この家で何が待ち構えているか分かりません。従って、イエスは私たちが普通考えるより遥かに大胆であられたと思います。

  すると、「人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた」のです。人々とは、律法の専門家やファリサイ人たちのことでしょう。彼らは手ぐすねを引いて待っていた訳で、飛んで火にいる夏の虫とはこのこと。今にも飛びかからんと待ち構えたのです。それでイエスが席に着くと、その言動、振る舞いを、固唾を飲ながら窺ったのです。

  既にイエスの前には、「水腫(すいしゅ)を患っている人」が連れて来られていました。イエスはこの男をどうするのか。安息日だが、癒すのか、癒さないのか。家の主であるこの指導者を始め、ここに集まった者らは、あらかじめ打ち合わせをし、自分の目で確かめるためにこの場をセッティングしたのです。

  水腫というのは、細胞の中や細胞組織の間に体液やリンパ液が溜まって体が腫れる病気のようです。体や一部の臓器が異常にむくむのです。体がだるくて立つのも困難、仕事など到底無理だという場合も多いようです。また異常なむくみの背後に別の怖い病気が潜んでいることが多いといいます。仕事ができず、貧しさが彼の身に襲っていたことが想像されます。

  異常な水腫だけでも気の毒ですが、彼はイエスを試す実験台として連れて来られたのです。彼は夕食に招待されたのでなく、単にモルモット、実験材料として、イエスを釣り上げる餌として連れて来られた。そう思うと実にかわいそうな男です。

  イエスは餌に食いついて来るかどうかと、待っていたのです。神を信じていると言いながら、何と陰湿でしょうか。

  ところがイエスは堂々と家に入って座られたのです。家に入って瞬時に、罠(わな)を見抜かれたでしょうが、決然とした態度で、少しも恐れず、落ち着いてたじろがず、動じる気配がありません。まことの権威を具えておられたからです。

                              (2)
  イエスはそこで、「律法の専門家たちやファリサイ派の人々に」聞かれました。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」だが彼らは黙っていた。

  彼らはイエスの質問を正面から取り上げようとしませんでした。もしそれをすれば、彼らは専門家ですから、色々な意見が出て収拾がつかなくなることを知っていたからです。だから押し黙った。

  彼らが今、窺っているのは、モーセ以来の長い伝統がある厳格な安息日の法を、イエスは破るかどうかということです。出エジプト記35章2節に、「6日の間は仕事をすることができるが、第7日はあなたたちにとって聖なる日であり、主の最も厳かな安息日である。その日に仕事をする者はすべて死刑に処せられる」とあります。水腫を癒す治療も労働の行為です。これに違反すれば、イエスを死刑に処すことができます。

  彼らが押し黙っていたのは、安息日でも、家畜が水のある井戸に落ちた場合は助けてよいという穏健派の考えと、いやそれも労働行為だ、厳禁だというファンダメンタルな厳格派がありましたから、この場で論争になれば折角のこの罠(わな)の設定が無駄になります。だから厳格派、寛容派共に口を開かなかったのです。

  暫く前に、私たちの日本基督教団内でも同じようなことがありました。常議員会という会社で言えば最高の取締役会で、一人の常議員が座らせられて、今日の話はオフレコだから聖餐式についてのあなたの考えを何でも存分に喋ってくださいと言われて、彼は忌憚なく話しました。彼の教会が決議したやり方に従って彼はやっているわけで、それを誇らかに説明した。

  所が、その時に話した内容に基づいて、あなたは教団の規則違反だから牧師資格を剥奪するというふうに持って行かれたのです。罠にかけられたのです。そんなことをすれば信頼関係が決定的に壊れるのは明白なのに、――イエスファリサイ派及び律法学者の信頼関係もこの時に完全に壊れたのです。決定的でした。――そんなことをしてしまった。同じキリストを信じる者が、自分たちの法と地位を守るために、自分たちの考えで教団を牛耳るために、一人の立派な牧師の資格を奪ってしまったのです。

  ほんとに酷いと思います。日本キリスト教団の牧師が皆、こんな良識ない牧師たちばかりであるのではありません。良識ある牧師が多くいます。だがある選挙方法が常議員選挙に採用されていて、総会議員の51%が賛成すれば、教団全部をトータルに絶対的に支配できるようになっているのです。少数派が全く排除される選挙方法なのです。

  とにかく、罠にかけられて牧師職を剥奪されました。これは今日の場面とほぼ同じです。罠にかけてイエスを葬り去ろうとしたのですが、常議員たちはこの聖書箇所を読んだことがあろうに、ファリサイ人や律法学者たちと同じ陰湿なことをしたのです。

  今後揺れ戻しがあると思いますが、イエスを裁判にかけて殺すようなことが日本基督教団内で起こったのです。


        (つづく)


                                        2013年10月13日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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