味わい見よ、恵みを


世界最大の大時計塔がある聖ペトロ教会前でこんなかわいい集いがあったのです。集まったのはご近所の人たちのようでした。
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                                          味わい見よ、恵みを (下)
                                          詩編34篇1-23節



                              (3)
  13節以下に、「喜びをもって生き、長生きして幸いを見ようと望む者は舌を悪から、唇を偽りの言葉から遠ざけ悪を避け、善を行い、平和を尋ね求め、追い求めよ」と語られています。

  これは、新約聖書の第1ペトロにも引用されて、聖書の中で大事な言葉を形成しています。

  この言葉が13節以下で語られた後、19節以下で、「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる。主に従う人には災いが重なるが、主はそのすべてから救い出し骨の一本も損なわれることのないように、彼を守ってくださる」とあります。

  「主に従う人には災いが重なる。だが骨の一本も損なわれない。」これはどういう意味でしょうか。

  これは、ごまかさず、不正を行わず、悪や偽りを語らず、公平であり、高ぶらず、怒らず、謙虚である。そのように生きる時、どうして試練や苦労が来ない筈があるかということでしょう。ダブルパンチの災いに遭うことすらあるということです。だが例えそんな目に襲われても、その全てから救われ、骨の一本も損なわれないというのです。少しも決定的なダメージを受けないのです。ましてやその魂、その存在は、神が贖い救って下さるのです。

  実はこの12節以降のことも、9節の言葉の射程距離にあります。9節の光の下で12節以下が語られています。すなわち、「味わい見よ。主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。」災いが重なり、難儀が襲ってもなのです。

  主の恵み深さは、災いや試練にも拘らず味わわれるのです。むしろそのような中でこそ、神の恵みを本当に与えられることを味わわれ、神の恵みは本物であることを味わわれる事になるのです。

  それを味わうために、しっかり主に踏み留まらなければならないのです。

ヘブライ人への手紙10章は、このことを指して、「主のみ旨を行なって、約束されたものを受けるために、あなたがたに必要なのは忍耐である」と語っています。これは本当に適切な言葉です。

  しぶとく、忍耐を持って恵み深さを味わうのです。「どのような時も」、主の恵み深さを味わおうとするのです。私たちは、人生の終わりまで味わい続けたいと思います。主が私たちと共におられるからです。

  この夏、スイスで山に行って4,478mのマッターホルンを見てきました。その帰りに、途中で登山電車を降りて、標高2,200mほどのアルプスの中腹を半日ウオーキングしました。展望台では、素晴らしいマッターホルンの全容が見わたせましたが、帰りに登山電車を途中下車すると、ガスがかかって見えなくなり、パラパラ雨も降り出したのです。

  しかし何故か私の胸には、行こうとしている山の上の湖に着けばもう一度マッターホルンが見られるという不思議な思いがあって、歩き続けました。途中、若者や中年のグループが、雨を恐れて足早にどんどん私たちを追い抜きました。しかし不思議な確信があったので、マイペースで進むうちに、ある若者たちと言葉を交わした時、ふと口が滑って、「私たちは湖に着いたら、マッターホルンが見えることになっているんだ。着かない内は見えないんだ」と冗談交じりに言ったら、キョトンとしていました。気がふれているとでも思ったんでしょうか。ところが目指す素晴らしい湖に着いて写真を撮ったり、小魚が数百匹群れて泳いでいるのを見たりして楽しんでいると、急に視界が開けて素晴らしいマッターホルンが姿を現し、美しいクリスタルのように澄んだ湖の向こうに気高い姿を現したのです。

  後から言えることですが、その時、自分たちのところに神が一緒におられた。私たちは神の時間と共に進んでいたというような思いをしました。

  もうかなり前ですが、「もも」という大変面白く優れた小説を書いたM.エンデが、こんなことを他で書いていました。ある時白人がアフリカ大陸を黒人ポーターを何人も連れて探検した。日程表を作ってどんどん奥地に入っていった。ところがある日、彼らは先に進もうとしなくなったのです。どうしても断固として進まない。白人は先を急ぐあまりイライラして彼らに聞いた。すると彼らは、「私たちはあまり早く急いだので、肉体だけがここに着いたが、まだ魂はここまで来ないのです。それで魂が到着するのを待っているのです」と言ったというのです。

  神様より早く歩いてもダメなのです。ちょうど神様と一緒に歩かなければならない。

  英語に、ON TIME という言葉があります。「時間通りに」という意味で、電車やバスが「定刻に」出発や到着する時に使います。この言葉には、本当は深い考えや思想が隠されているように思っています。ON TIME と言うのは、直訳では、「時の上に乗っている」という意味です。早くも遅くもなく、丁度その時間の上に乗っかって生きている感じを表しています。

  私たちは、神の歩みと共に生きる。ON TIMEに、神の時の上に乗って、神が与えて下さる時に合わせて生きることが大事です。ON TIMEで生きると、焦ることも慌てることも要りません。遅れたら遅れたで、いい時が待っているのです。神は共におられます。神を信頼して生きると一旦は凶と出たとしても、凶と出たところで吉が待っている。やがて良いことが起こって来ます。そしてそのようにして、主の恵み深さを味わい見るということが起こるのです。

         (完)

                                        2013年10月6日



                                        板橋大山教会 上垣 勝



  ホームページは、 http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  教会への道順は http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/img/ItabashiOyamaChurchMap.gif


(正解:ステージの子どもたち。市を上げての大フェスティバルは家族と子どもたちのものでした。あまり商業ベースを感じさせられません。彼らの社会は今も正常でした。)
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