神は携帯電話を持っておられない


世界最大の大時計塔がある聖ペトロ教会前に集まった人たち。この人たち何を見ているかな? 答えはこのブログの一番下にあり。
                                             (写真クリックで拡大)
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                                          味わい見よ、恵みを (中)
                                          詩編34篇1-23節



                              (2)
  次に、「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない」とあります。主の恵みを味わうのは、御もとに身を寄せることによってです。御もとに身を寄せるとは、神のもとに宿ること、神に委ねることです。しかも進んで神に身を寄せれば寄せるほど、主の恵み深さがはっきりして来ます。

  主の恵みに対してアンテナを張って生きることになりますから、ますます主の恵みがアンテナにかかって来ます。

  今は、ITの時代と言われます。ITというのは、Information technology情報技術と訳されています。今は、多くの人がインターネットをし、60歳以下の人は殆ど携帯電話やスマート・ホーンを持っているでしょう。ある知人がこんな言葉を、フェイス・ブックで送ってくれました。フェイス・ブックというのもIT技術の一つです。

  「神は携帯電話を持っておられない。だが、今も私は彼とお話している。神はフェイス・ブックをしておられない。だが、今も私の友だちです。彼はツイッターをしておられない。だが、私は、いつも彼の後を追っています。」

  私たちは携帯やスマホで友達や同僚とひっきりなしに連絡を取り合っていますが、「私は道、真理、命」と言われる最も肝心なお方と連絡が途絶えていないでしょうか。私たちの魂が肝心要の方との交わりを持たないために、どこかおかしくなっているのではないでしょうか。イギリスの知人ですが、彼女もそんなことを考えながら送ってくれたのでないかと思っています。

  経済はIT技術で救えるかも知れません。物質的なものはそうかも知れません。だが、私たちの魂は、「御もとに身を寄せ、主を畏れ敬い、主の恵みを味わう」こと以外によっては、救えないのではないでしょうか。このことなしには、魂の空白部分はいつまでも満たせないのではないでしょうか。

  「御もとに身を寄せる」とは、主の御もとに留まることです。罪とは的外れの生き方の意味を持っていますが、人は自分の力で幸いを得ようとして懸命に努力しています。むろん努力はいいのです。だがその努力が、神から離れるばかりで御もとに留まることがないなら、必ず的外れな生活になって行くでしょう。幸福への努力が返って的外れになるのです。個人だけでなく、現代文明もそうです。

  暫く前に、プラスチックが環境に与える影響についてのテレビを見ました。ドイツで制作されたものでした。プラスチックが分解されて小さく小石や砂粒の状態になり、さらに微細な粒子になった時の環境に与える毒性の調査でした。それが魚介類に入り、それを食べる鳥たちに入り、やがて人間の体に入って蓄積します。プラスチックは水に浮かびますが、太平洋のある地域では大きなあるいは微細なプラスチックが密集し、色々のものを汚染しているというのです。その警告のテレビを見て、私たちは、やはりプラスチックを極力少なくしていかなければ、この便利なものが生物と人類の滅亡の時を近づけるかも知れないと思いました。人類が努力して発明し発見したものが、やがて人類を襲うことになるかも知れない。

  私たちは便利さという人間の小賢しい知恵、あるいは欲望を捨てて、もう少し少なくして、神の前に留まる。この一点が、私たち生物と人類を救う道であり、真理と命が回復される要でないかと思わされました。

  こう考えると、私たちが単に経済追求であくせく働くのでなく、神の前に留まること、その前に静まること、そして神の恵み深さを味わうこと。そこから、私たちはどう生きるべきかを考える事が格段に重要なことだと思います。

  「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。」この言葉は、私たちが普通考えるよりも、現代人にとって遥かに大きな意味を持っているのではないでしょうか。

  暫く前にホーキングさんのことを良い実例としてお話しました。しかし今日は別の面をお話します。彼は宇宙の謎を解いたのです。科学的に理論的にその神秘の世界を私たちの前に明らかにしました。素晴らしいことです。その背後で最初の奥さんは難病の博士に献身的に仕えました。だが博士はこの方との間に3人の子を儲けましたが、やがて離婚しました。それで、若い看護師さんと再婚しました。この人も素晴らしい人です。だがこの人とも離婚しました。

  このホーキングさんが、前に申しましたように、「女性は神秘である。女性は謎である」と語るわけです。そしてこのホーキングさんは以前はそうでなかったのですが、最近では、天国はない。神はいないというようなことを言いだしたのです。

  しかし、自分の身近な女性さえ、神秘だ、謎だと言っている人間が、どうして神はいない、天国はないと言えるのか。女性以上に神秘であり、謎である神を科学の力で解ける筈がないと思います。神は科学を、理性を超えておられるからです。科学や数式では神は解けないし、女性のことも解けないでしょう。


         (つづく)

                                        2013年10月6日



                                        板橋大山教会 上垣 勝



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(正解:ステージの子どもたち。市を上げての大フェスティバルは家族と子どもたちのものでした。あまり商業ベースを感じさせられません。彼らの社会は今も正常でした。)
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