福音を生き抜く


手前はチューリッヒ湖から流れ出たリマト川、対岸は旧市街の下町。教会の向こうにチューリッヒ大学が見えます。                                  (画面クリックで拡大します)
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                                         味わい見よ、主の恵みを(1)ー上
                                         詩編34篇1-23節
         

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  ダビデは、「どのようなときも、わたしは主をたたえ、わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え」と語っています。

  どのような時も、主をたたえ、絶えることなく賛美を歌うと語るダビデに、私は圧倒されます。また、「私の口は、…私の魂は」と、心と人格を傾けて主をほめ歌う彼の信仰は、力強く、純粋で、少しも混じり気が感じられません。日本晴れのように何と澄み切った、透明な信仰でしょう。

  この最初の数行を読むだけでも、この信仰者の心の真実さ、混じり気のないハラワタを誰もが認めることができるでしょう。

  後から付け足された、冒頭の説明には、「ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに」作られたとあります。しかしダビデが狂人を装って難を逃れたのは、祭司アヒメレクでなく、ガトの王アキシュの前でした。だが、そんな間違いは些細なことで、この詩の真価にはいささかも影響しません。

  ダビデはこの時、亡命の身でした。主君サウル王の激しい妬みにあい、王子ヨナタンの執り成しにも拘らず、槍で突き刺されましたが、危うくすり抜けて逃げることができました。部下も武器も食料も何も持たず、命からがら敵国に逃げ込んだのです。今まで戦っていた国にです。この時彼は、生きるか死ぬかのギリギリの所にいました。

  この厳しい試練の最中に、「どのような時も」と歌ったのですから、本当にこれは驚きです。彼はこの2、3節だけで、3度、「主をたたえ、賛美する」と歌っています。凄いと思います。

  先日、ケニアのショッピング・モールで隣国ソマリアの過激派ゲリラによるテロがあり、多くの犠牲者が出る痛々しい出来事になりました。しかしあの事件で、エリオット君という4才の男の子が話題になりました。エリオット君は、お母さんとお姉ちゃんと3人で買い物に来ていましたが、事件が起こるや、誰もが棚などの物陰に隠れました。覆面した犯人たちは機関銃を持って3人の近くに来て、お母さんの太ももを銃撃したのです。その時、まだ小っちゃなこの子が、犯人の前に進み出て、「あんたたちは悪人だ」と叫んだのです。本当に勇気ある子だと思います。

  誰にも教えられず、小さな男の子が「あんたたちはとても悪い悪人だ」と勇敢にも言った。これも凄いと思いました。実に勇敢な子どもです。ただこれは次元が違いますが。

  フィリピ1章の獄中のパウロは、「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」と書きました。

  彼はこの時、処刑の危険に直面していました。だが処刑をも恐れない彼の信仰が兵営全体に知れ渡り、多くのキリスト者を励ましたのです。これも凄いと思います。信仰に堅く立つ時、他の多くの者を勇気づけるのです。福音は生き抜かれてこそ、伝えられるのです。ダビデパウロも信仰を生き抜いていたから、多くの影響を与えることになったのです。

           (つづく)

                                        2013年9月29日



                                        板橋大山教会 上垣 勝



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