「八重の桜」に涙を流しました
青年時代に学んだペスタロッチはチューリッヒの人でした
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今日も明日も次の日も (上)
ルカ13章31-35節
(序)
先週、初めて「八重の桜」のテレビを見ました。丁度いい場面だったらしく思わず涙が出ました。「過激な転校生」という題で、熊本バンドの青年たちが新島襄の同志社英学校に大挙して入学しますが、彼らは過激で、結束して学校に改革案を突きつけたのです。それは成績不振、進歩なき者は退学させること。出来の悪い者を排除せよとの要求でした。また、新島を解任し、優れた西洋人教師を学校長に迎えよとの要求でした。
新島も八重も困りますが、新島は彼らの前でこう話したのです。「この学校は心を育てる学校です。国を愛する人間を育てようとしているが、国を愛するとは、自分を愛するように目の前にいる他者を愛することだと私は信じています。イエスは『汝の隣人を愛せよ』と言われた。だから、己のために他者を排除する者は私は断固として許さない。」最後の方は新島も涙を流して語る場面で、思わずこちらも涙がこぼれたという訳です。
熊本バンドの青年たちは勉強に熱心だし、聖書をよく知っている。だが身近な他者を愛していない。しかし新島は、日本の夜明けを告げる明治初期に、他者を本当に愛するようになることが国家としても個人としても最も大事であると説いたわけで、素晴らしい場面でした。後からこのことに触れたいと思います。
ついでに、後にも同志社で紛争があった時、新島襄は学生たちを講堂に集めて、鞭を取り出し自分の左腕を打ちながら、「諸君、私をゆるして欲しい」と、血が出るほど打ち据えたそうです。たまりかねた学生たちが、「先生やめてください。私たちが悪かったのです」と言って止めたのです。そのうちこの場面も登場するでしょう。
(1)
前置きはそれまでにして、今日の31節は色々考えさせられる所です。「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています』」とありました。
ファリサイ人は律法学者や祭司長、長老たちと組んで、イエスを十字架に付ける人たちです。いわば敵です。ところが彼らがイエスに、「ここを立ち去ってください」と言ったのです。これはどう考えていいのでしょう。忠告でしょうか。早く逃げてくださいと、心配しているのでしょうか。
しかし11章の最後には、すでに彼らはイエスに対し、「激しい敵意を抱き」と書かれていますから、忠告だとはにわかに信じることはできません。
するとこの言葉は、一種の陽動作戦でしょうか。一番得なのは、相手に自己規制させることです。ヘロデが殺そうとしていると語ってイエスを恐れさせて、自主規制させればしめたものです。その類でしょうか。
ところが次の14章の冒頭では、まだイエスを食事に招くファリサイ人がいたことが分かります。すると、やはりこれは味方としての忠告でしょうか。しかしこれは、安息日に招いていますから、イエスが安息日を破るかどうか、目の前で確かめる秘策だったのでしょうか。
このようにここは複雑で様々に考えさせられる箇所です。社会は複雑で、誰が敵で誰が味方か、現実には錯綜してよく分からない。それでもう一つの見方を付け加えれば、私たちは思い込みをしがちですから、ここは、思い込みは禁物だと語っているのでしょうか。
(つづく)
2013年9月22日
板橋大山教会 上垣 勝
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