「主の祈り」は人類の世界遺産


 今回泊まったSagitta Hotel は三つ星ですがお部屋はきれいだし、静かだし、もてなしはよかったですね。




                                          かすかな新しい兆し(下)
                                          ルカ13章18-21節


                              (4)
  スイスには「人間の混乱と神の摂理」という言葉があります。私たちが歴史を振り返れば人間の混乱、醜い姿が後をたちません。だが、主なる神は私たち人間の罪をも用いて、次の新しい時代へと私たちを導いて下さるのです。希望を与えて下さるのです。スイス人はそれを、先ほど申し上げた恐ろしい歴史を通して傷つきながら学び取ったのでしょう。そこに神の摂理があり、憐れみがあります。キリストが十字架について下さった意味がそこにあります。

  神の摂理が人間の混乱をも貫いて進みます。人間の罪が神の摂理を覆ってしまうことはありません。一時はそう見えても決してそうなりません。必ずからし種はやがて大きく成長するでしょう。

  神の国が成長するために、主は私たちに「主の祈り」を教え、「御国を来らせ給え」と祈るようにお教え下さったのです。これを祈れと命じられているのは、何と恵みでしょう。何という神の慈愛でしょうか。これは人類に与えられた財産です。人類の世界遺産です。

  私たちは光と闇が共存する社会に生きています。光だけではありません。だが闇だけでもないのです。だから恐れることはないのです。やがて光は闇に打ち勝ち、闇も闇と言えなくなるでしょう。それが神の摂理です。

  私たちにとって最も大事なのは、キリストが私を愛しておられることを知ることです。私のためにキリストがおいで下さった。そのことを発見する時、心の平和が可能になり、確かになります。生きる喜びが生まれます。

  「教会はキリストの体であり、全てにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」と9月から招詞で読まれています。教会はキリストの体です。またキリストの体に成長して行きます。私たちは今はまだ貧しく乏しい人間であり、教会もまた貧しく乏しいものですが、今後もっと変遷を遂げるでしょう。そしてやがて成長すれば、キリストの豊かさにまで成長し、その愛の広さ、高さ、深さ、長さにまで導かれるでしょう。今はまだ貧弱なからし種のように貧弱ですが、そこまで導かれることでしょう。

  今はまだかすかな兆しに過ぎません。だが、今すでに、教会はかすかですが、世に先んじて新しい兆しを授けられているのです。ここに希望があるのです。

  この譬えの最後でイエスは、「その枝には空の鳥が巣を作る」と約束されました。空の鳥は複数形で言われていますから、イエスは、数多くの小鳥たちがこの木にやって来て巣を作ると言われたのです。

  聖書では小鳥は異邦人をさします。キリストの木には、ユダヤ人だけでなく、民族や国籍、言語や人種、肌の色を超えて世界の多くの人たちがやって来て、小鳥たちのように楽しくそのキリストの木に止まって囀り、交わり、憩うようになるという預言です。

  私は、キリストの木はやがて宗教をも越えて人々が合い集う場所になると思っています。そして十字架の和解の木のもとで、あらゆる人が和解し合い、赦し合い、連帯し合い、助け合う世界。隣人愛が行われる世界へと成長するだろうと思います。それは、人類がキリストの愛の深さ、高さ、広さ、長さにまでに成長する世界です。

  「庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」私たちはイエスの言葉をそこまで信じているでしょうか。確かに神の国は成長すること、多くの小鳥が来て巣を作ることをそこまで確信しているでしょうか。イエスの言葉から、それを信じ確信してよいのです。

                              (5)
  私たちの力で成長するのではありません。人間が天使を演じる時、悪魔を演じてしまうとパスカルは言います。確かにそういうところがありますね。神の国が成長するのです。からし種が内に命を秘めているのと同様に、神の国がその内側に持つ命によって成長するのです。そして何ものもその成長を妨げることはできない。それは神とキリストの愛の意志によって実現されていくでしょう。

  成長するのです。ただ私たちの世代で完成する訳でありません。むしろ未だなお、神の国からし種のように小さく、目にとまりません。しかし、今後、何世代も何十世代もかかって神の国は確実に成長し、世界の全ての人が一切の隔てを超えて、神の国の木につながり、その木に喜び、宿るようになるに違いありません。

  イエスは、パン種の譬えでも神の国を語られました。パン種は小麦粉の中に混ぜられます。パン種は、自分と相手の区別をなくすまで相手に溶け込み、自分の姿を消して相手のために働くのです。すると全体が膨らんでくる。それがパン種の譬えで言われていることです。ただ、パンが膨らむには時間が必要です。このことにおいても、パン種が黙々と働いてくれることを信じて慌ててはならないのです。

  イエスは世に来られました。その福音はこの世のためにあります。福音は自己目的ではありません。むしろ世の中に入り、その中で世に仕えて働く時に、全体が膨らんでいくのです。

        (完)

                                       2013年9月8日


                                        板橋大山教会 上垣 勝



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